2013年12月05日

「つらい」考

 「つらい」考

12月3日の自立生活支援を考える会が始まる前、私は「長時間の介護をするとは?」というより「介護のつらさについて」というようなことでほとんど頭がいっぱいだった。で、その会が終わって、私自身が「つらい」とか「苦しい」という感情、あるいは「痛い」という感覚にものすごく日ごろ関心をよせていることを改めて自覚した。

 なぜ、どのように、私はつらさや苦しみにについて興味があるのかを思いめぐらしているうちに今回の自立生活支援を考える会で、私に対してある方からの質問を思い出した。

「横田さんは以前と比べてたこの木クラブや介護がつらくなくなったといっているがそれは何が変わったのか?」

確かそんな感じの質問だったと思う。その時は自分でもわからなかった。てゆーか今わかった。

答え・・・・たぶん以前は「つらさ」や「苦しみ」に対してどうすればそのつらさや苦しみを取り除くことができるかという考え方をしていたのだと思う。しかし今はどうやって取り除こうかというより、そのつらさや苦しみとどうやって付き合っていこうかと考えるようになってきているのだと思う。

私は私自身のつらさや苦しみに興味がある。
私は私以外の支援者や当事者のつらさや苦しみに興味がある。

自分自身のつらさ(不都合)を棚において、当事者のつらさ(不都合)を取り除こう。これは現在の病院のスタイルである。あるいは入所施設もそういうスタイルではないだろうか。近代科学のスタイルといってもいい。

 近代科学は人のつらさや苦しみなどの不快な感情にたいしても客観的な立場に立ち、もっぱら取り除く(解消する)ことに知をそそいできた。実際にそれは目覚ましい成果を生んできたわけだが、成果と共に、その限界や成果に伴う不都合な副作用があらわになった。

自立生活支援の現場においては病院や入所施設のような近代科学的な知のスタイルでは成り立たない、回っていかないことが多すぎる。

ヘルパー資格を得た多くの新人ヘルパーが自立生活支援の現場で近代科学的な知のスタイルの限界、矛盾に直面したはずだ。

当事者の不都合にたいしての無力さ、棚に置くことのできないヘルパー自身のつらさや苦しみ。何をどうふるまえばいいのかさえわからなくなってくる知的障害的不安。

 知的障害当事者の自立生活支援をやっていると、それぞれの支援者自身の持つ知的障害性がすごくあらわになりやすい。
 その支援者の持つ個人的な苦悩や問題もあらわになりやすい。それ自体、近代科学的知の流れをくんだ現代人にとってはかなり「つらい」ことではないだろうか。そのつらさを安易に退けるよりは、そのつらさと上手く付き合っていくことを考えたほうがこれからの時代、面白いのではないかと私はおもっている。



posted by takonoki at 18:06| Comment(1) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月09日

「つらい」考 その2

先日開かれた「自立生活支援を考える会」で横田さんが話題提供者となり、話をしてくれたことやその後「つらい考」と題して書いたブログを読み、私も私の中にある「つらい」と言うものの中身を私なりに改めて考えなければならないと思った。

それは、横田さんは「つらさ」があることを前提としていて、その想いは今ヘルパーとして当事者達と関わる人たちにとってとても近いところにあると思ったから。

そして、私はこれまで思い描いてきた事が、どれほど現場のヘルパーの人たちからは遠いところにあったかという事を思い知らされたから。

横田さんは、「つらさを取り除く」とか「つらさと付き合う」ことに向き合っているのだが、
私は「長時間介助」についてつらさを描いたことがない。
日々の暮らしの中で、介助が立て続けにあれば「疲れるわぁ〜」と言う事はあるし、それが「つらい」に置き換えられる面もある。でも「疲れるわぁ〜」の一言で済ませられる程度。

そんな私が、介助者たちの「つらさ」に気づくはずもない。

先日の自立生活支援を考える会で考えさせられた事は、
「一旦、長時間介助はつらいもの」と立ててみると言う事。
そして、タイミングよく昨日と一昨日の2連続で長時間介助の機会がありあれこれ考えてみた。

「つらさ」を前提にしてみたとき、
実は、私の中にこの「つらさ」がないわけではないと言う事に気づく。
「つらさ」がないわけではなく、「つらさ」が麻痺しているだけかもと感じた。

私自身介助と言う現場に入って30年近く経つ。
自立生活運動を担う身体当事者の介助に入り、
昨今知的当事者達の介助に入っている。

制度が整っていない時代。
「介助に入る」=「その人と付き合う」でしかなかった。
極端な話、自分の寝床となるアパートの家賃と水光熱費とタバコ代程度の現金をもらい、
食費は、当事者分と自分の分を一緒に作り一緒に食べるのでかからないし、
衣服はいろんな人からのもらい物。
そんな生活の中で、「付き合う」ことのみを常に考えてやり取りしてきた。

なので、
正直時給で介助料がもらえるなんて夢のようだし、
「こんなんでもらって良いのだろうか?」とも考えてしまう中、
時給以上のものをあれこれ思い描き、当事者や当事者の家族とやり取りしてきた。

そして、たぶん私にも合ったであろう「つらさ」は、
それを上回る出会いや出来事の中で、様々な気づきを与えられ、当事者とともに歩む事で自らの価値観が変えられ、そのことによって自らの暮らしも解放されていく印象の中で暮らしてきた。

すなわち、
当事者との関わりの中で「つらさ」がなくなったのではなく、
「つらさ」が「麻痺」しているといった方が寄り近いように思う。

なくなったのではなく麻痺しているならば、
もし、私自身がこの先新たな出会いを求めるエネルギーや気づける感性が落ちたときには、
今、ヘルパーとして関わる人たち以上に「つらい」ものになってしまうかもしれないと感じた。

今、私とヘルパーや支援を職として関わる人たちとの違いは、
職以外のかかわりがどれほどある金井の違いだと思う。

関わるためには長い年月が必要だけど、
そこにある「つらさ」というものはお互いに共有できる事柄なんだろうと思う。
そして、そこを明らかにするには私以上に横田さんや西山さんたちの目線や各々が担うヘルパーたちの目線が不可欠であり、
一人ひとりが、もっと語ってよい状況を生み出すためには、
「介助はつらいばかりではないでしょ」と私のような立場の人たちが語るのではなく、
「介助はつらいよね」と言う前提から始めなければと思う。

でも、
こんな事を書いていると聞こえてくるのは、
「お前達以上に当事者の方がつらいんだ」と言う声
それは、先日の会で横田さんも語っていて、
その声故に介助者は何も言えなくなってしまうと言う事。
又、
「介助はつらい」と介助者が口にすることで、当事者達は何もいえなくなってしまうから、言うに言えない。と言う点。
前者は、まだ当事者とのやり取りの中でお互いを出し合い生み出したり考えつながっていく事は可能。
会の中でも、「私達は当事者と喧嘩しつつ進んできた」と言う話があったが、それがまさにそうだと思う。
しかし、難儀なのは後者の方。
「何も言えなくなる」と言ってくれるならまだしも、
言われないままに過ぎていくことに気づくと、何をどのようにしてよいか解らなくなり、
結局「つらい」と言う事は「口が裂けても言えない」とヘルパーが抱え込んでしまう。
又、当事者者のつらさをまったく感じないままに、勝手な介助を担い続けていくかもしれない。

そんなところからも、
「つらさ」が個々のヘルパーの中に留まり、
それに耐え切れなくなってしまう者は辞めていく。

又は、麻痺させることのできる者のみが長年にない続けられると言うのもおかしなことだと思う。

なので、
「つらさ」があるという前提で改めて様々な事を考えていかなければならないと思う。
そして、
その前提に立ち、介助者の「つらさ」が常に当事者にのみ転嫁されていく事を課題としなければならない。

たぶん、私が長年になってきたことは、「当事者に転嫁しない」と言う事であって、「つらさ」を抱くことの中身は、ただどこかに仕舞い込んでいただけのように思う。

そして、様々な制度によって当事者の暮らしが成り立つ昨今。
「付き合いの延長線上」だけでは、見えない様々な課題がさらに膨らんでいくと思う。

特に、知的当事者の重度訪問介護は、
長時間を前提とする制度であるが、
長時間、介助者と当事者が密室状態となる中、
介助者のつらさを当事者に転嫁されてしまっては、
密室の危険性もあれば、暮らし全体の中で介助者や支援者達に管理されていく制度となってしまうように思う。

なので、
とりあえずは、
「つらさ」を様々な人たちともっと気軽に語れる状況を生み出し、実際にあるものを見えないところで特定の人に転嫁されない状況を生み出さなければと思っているところ。
posted by takonoki at 10:42| Comment(2) | TrackBack(0) | @岩橋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月10日

画伯だより

こんにちは、西山です。


画伯からジャカルタ48のグレーグリーンの絵!
DSC_0030.JPG

ブログではすっかりお馴染みのJKT48ですね。

いつもありがとうございます画伯。



posted by takonoki at 14:19| Comment(0) | TrackBack(0) | @西山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月12日

つらい考 3

 岩橋さんが書いた「つらい考その2」を読んだら、6,7年前、私がたこの木クラブに入りたての頃のことを思い出しました。

とりあえず岩橋さんの「つらい考その2」から引用します。
『横田さんは、「つらさを取り除く」とか「つらさと付き合う」ことに向き合っているのだが、
私は「長時間介助」についてつらさを描いたことがない。
日々の暮らしの中で、介助が立て続けにあれば「疲れるわぁ〜」と言う事はあるし、それが「つらい」に置き換えられる面もある。でも「疲れるわぁ〜」の一言で済ませられる程度。』

確かに岩橋さんはそんな感じで、それに対して最初の頃私はものすごく戸惑いを感じてたように思います。今から思うとその戸惑い自体も私には辛くて仕方がありませんでした。私にとって介助はやはり辛かったし、当事者も辛そうに見えて仕方がなかった。それなのに岩橋さんは辛いどころかどこか楽しそう。

 だから岩橋さんの文章にある「つらさは麻痺していたのかもしれない」というのはたぶん間違いではないとおもいます。私も岩橋さんのこの文章を読むまで、岩橋さんはつらさが麻痺してるなんて考えたことはありませんでした。

どうなんでしょう? 「辛いという価値基準を持ってはいけない」という危機感が岩橋さんにはずっとあったのでしょうか?

確かに「つらい」か「つらくない」かを基準に決めるとたこの木にとってはかなり不都合なことがあると思います。

普通学級はつらいから養護学校にいく。
地域はつらいから施設にいく。
自立生活はつらいから入所施設で暮らす。

「当事者のためを思うと・・・」「当事者がつらそうなので・・・」この様な意見にたいして「つらい」か「つらくない」という価値基準をたこの木がもつと致命的ですらあると私でさえそう思います。

ではなぜここにきて「つらい」ということが岩橋さんにさえ注目されることになったのでしょう。

 実は今回「つらい考3」を書くにあたって今の今、全くといっていいほど自分が予期せぬ展開になってきています。こんなこと書くことはおもってもいませんでした。でも先は長いと思いますので的がはずれてしまっているかもしれまんがこのまま続けて書いてみたいとおもいます。

なぜここにきて「つらい」ということが岩橋さんにさえ注目されることになったのか?

  戦後日本は高度経済成長期、バブルを経て現在に至るまで、風潮として世の中全体が「快適主義」よって貫かれてきたとおもいます。「つらい」をはじめ「汚い」など不快なことはまるで悪のように取り除かれようとされてきました。
水洗便所、エアコン、コンビニ、パソコン、原発・・・・・・・

それらはまさに私たちを快適にさせてきたかのように見えたのですが福島原発事故が象徴するようにこれまでの快適主義の成果による不都合な反作用ともいうべきものがあらわになってきました。

 画一的な快適主義にかいならされてきた私たちは快適主義に疑いをもつものの、画一的な快適主義の世界から外れた不快さには全くもって無力、思考停止。

 画一的な快適主義の世界から排除されようとされる当事者を排除されないために運動してきた中で、排除しようとする人たちに対して快適か不快か?つらいかつらくないか?という価値基準を持ち込むこむことは危険で、かりにその価値基準を持ち込むときも極めて慎重になったのではないでしょうか?

 11月23日に岩本通信でおなじみの岩本さんが小学生の時の普通学級の担任と共に講演会がありました。そこでの内容は
 養護学校はいやだから普通学級へいく。
 施設なんて問題外といった感じの内容でした。
日ごろ付き合いのある岩本さんの話なのでとても面白かったです。

当事者、支援者の「つらい」「つらくない」なんていってられない時代から、当事者、介助者の「つらい」「つらくない」の話が大っぴらにできる時代になったのかもしれません。それは私にとってはとても有難いことです。

つらい、つらくない以外の強固な価値基準をもった人たちが今の若い介助者たちのつらさに耳を傾けることは今後さらに有意義になってくるのではないかとおもいます。

posted by takonoki at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月25日

つらい考 4

なんだか横田さんとの往復書簡の様相になってきましたが・・・
「つらい考3に対して岩橋さんが何を書くだろうと思っていた」と横田さんが言うので書いてみます。

まずは、
「辛いという価値基準を持ってはいけないという危機感が岩橋さんにはずっとあったのでしょうか?」と言う横田さんの問いに対しては、
「つらい」を価値基準にしているか否かでいわば、まったくそこは基準としていないし、基準にはならないと思います。

横田さんは、

普通学級はつらいから養護学校にいく。
地域はつらいから施設にいく。
自立生活はつらいから入所施設で暮らす。


と言いますが、これらは当事者の親や当事者自身のつらさであって、
この間取り上げなければと思っているのは、介助を担う側の「つらい」と言う話だと思っています。

そして、私自身は「つらい」を上回るものが日々の中にあり、「つらさ」を持ち合わせていなかったようだけども、実はそうではなく「麻痺」しているだけと「つらい考2」で書いたつもりでいます。

当事者の「つらい」については、逆に日々様々な場面で感じています。
そして、その「つらさ」と言うものは本人が勝手に抱いているものではなく、
私たちの側が抱かせているものとして、見過ごせないものとして常に考えてきたつもりです。

横田さんの言葉を使えば、
「養護学校はつらいから普通学級へ」
「施設はつらいから地域へ」
「入所施設はつらいから自立生活へ」
という事に対し、自らが何をなすべきなのかを常に考えてきました。
又、様々な人とのつながりや助けがあって、私一人ではどうにもならない現実が何とかなってきたし、何とかなってきた事を振り返れば、「あきらめずに想い続けてきて良かった」と思うし、その事によってさらに先へと進めていけるのだろうと思います。


ただ、そんな想いや視点で長年取り組んできて、それなりに経験を持つ私が周囲に語る事によって、
周囲は「つらいと想い描いてはいけない」という想いを介助者や支援者たちに抱かせていたなら、
そこは改めなければならないですね。

それから、
何故「つらい」を考え始めたと言えば、
時代の問題ではなく、気づきの問題ですね。
「麻痺」と表現したように気づかぬままにここまでやってきた私にきづいたという事。

ただ、
「つらい」を語らなければならない時代と言うならば、
それは、制度が進み制度によってある面当事者たちの暮らしは過去とは比べられないぐらいに、とりあえずなんとかなっている。
又、制度の乗っかった支援が担えるようになり、経済的なつらさは過去と比べ物にならないぐらい良くなっていると思います。(不安定さに目を向けるとまだまだだし、上を見るときりはないですが)

一面においては、それなりになってきた支援の現場ですが、
それでも離職率の高い状況。
そこには、単に経済面とか仕事の中身よりも、
どのような支援を担うか?
何を持って担っているのか?
という、個人の資質が大きく影響していて、
何かをつかんだ人はそれなりに継続できても、
何かをつかめない人は去るしかない。
そして、私自身も何かをつかんだ口ですが、
何かをつかんだとしても、つらさがなくなっているわけではないという事をいかに捉え考えていくか?
そのためには、「介助・支援はつらいか?否か?」ではなく、
「つらいもの」として考えなければと思っています。

そして、
それは「時代」か否かはよく解りませんが、
これから経験していこうとする人たちが思い描く事に耳を傾ける事が、
私自身の今後の取り組みを考える事でもあると想っています。

時代と言う面で考えれば、
これまでは、様々な関係性の上に制度を利用してきました。
「自立生活支援を考える会」の中でも、
「制度と関係性」と言うテーマで話を交わした事もあります。
「つらさだけでなく、つらさが充実感に変わる」と言う想いを私自身も抱かないわけではありません。
しかし、
制度や支援の体制が出来上がったあとに担い手となる人たちが増えてきたいる現実。
その点についてはまさに「時代」であり、
その人たちが描くものといかに付き合うか?

「岩橋亡き後」と横田さんが書いていたように、
様々なものが生み出されたとしても、それを継続していくために課題となる事をあれこれ考えます。
又、先日顕になった千葉の施設での虐待事件。
入所施設だから起こったと言う捉え方ではなく、
私は「介助者・支援者」たちにある「つらさ」を当事者に転嫁した結果として見ています。
そして、そのような状況は自立生活の場においても、
密室状態で担われるヘルパーと当事者との関係の中で同様の事が起こる可能性はあり、同様に起こってしまうものとして「つらさ」の存在を認め、それを「当事者に転嫁しない」事として考えなければならないのだろうと想っています。

では、
その「つらさ」とは何か?
横田さんと西山さんと私とであれこれ話す中で想い描く事は、
何かが違うような気がしています。
なので、ここは西山さんにも参戦いただいて一緒に考えたいところではありますが、
とりあえず、今回はここまでという事で。



posted by takonoki at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする