ファミリーグループカンファレンス(FGC)研修会が、7月17日〜21日の4日間東京都内で開かれました。
4日も地元を離れて研修を受けるというのはちょっと無謀かとも思いましたが、
皆さんの様々な形でのフォローを受け参加する事ができました。
朝から午前様の帰宅になるまで(会自体は9時〜17時でしたが、毎夜いろんな人と居酒屋でインフォーマルな会議を開いていました)かなり体力的にも思考的にもハードな4日間になりました。
さて、このFGC。
その名称を日本語にすれば「家族集団会議」となり、
様々な誤解を与える名称なので何らかの名称変更が必要だと思っています。
そもそもは、
ニュージーランドがイギリスの植民地であった時、
イギリスの社会は、先住民であるマオリ族の生活スタイルを理解せず、
作られた制度が自分たちの文化を締め出している。
マオリ族がそれ以前から行ってきた問題解決の方法や人々の力を社会全体が奪う仕組みになっているという訴えから始まりました。
マオリ族は、何か問題が起こると部族全体で解決を図るという手法をとっていました。
当該同士で問題を抱え込んだり、当該のみで問題を解決するのではなく、
部族全体が、それぞれの責任においてみんなで解決していくと言うものです。
すなわち、
ファミリーグループというのは、部族と訳せると思います。
そして、部族を形成する範囲はすなわちマオリの人々にとっては目に見える範囲の地域ともいえると思います。
すると、
ファミリーグループカンファレンスとは、
当該同士で問題を抱え込んだり、当該のみで問題を解決するというのではなく、
地域全体の問題として、地域の人々が共に解決していく手法ともいえるのではないかと思います。
又、
「イギリス社会の解決方法」とは、専門家集団が良しとする方向や制度によって枠づけして解決を図るのではなく、部族を構成する一人一人すなわち生活をともにしている者どうしで解決を図っていくという発想です。
私がこのFGCにひかれたのは、
まさにたこの木クラブや多摩の数多の人々が「地域でともに生きる」という想いを抱き、
様々な人とともに、様々な事柄に向き合い、様々な形で解決を図ってきた取り組み方そのものと思ったからです。
たこの木もまもなく設立28年になります。
この間、重度知的当事者たちの自立生活支援を築いてきました。
就学時健康診断等も含め、障害の有無によって分けられる子ども達の状況に対し、
親や子どもの問題ではなく、地域全体の問題として学校や教育委員会に抗してきました。
その他にも、様々な課題が生まれると意識ある人たちが集まりその解決に向けて新たな会(グループ)を生み出し取り組んできました。
事が起これば、事柄に対したじろぐ事もしばしばありましたが、
みんなで知恵と力を出し合い、課題解決に向けて様々な広がりを求めてきました。
まさに、
FGCとは、たこの木クラブが取り組んできたものだと感じています。
そして、たこの木周辺には数々の会議はありますが、
会議によって解決が図られているというよりも、
そこに集う人たちとのつながりが、振り返れば課題を解決しているという事。
会議によって決まっていくというよりも、ネットワークを生み出しにない続けていくという事のように想います。
研修会に参加して分かった事は、
FGCは「問題を解決する手法」であった事。
しかし、私が想い描いているのは、
問題があってもなくても意思決定に困難さを抱く/意思を表明しても受け止められない知的当事者たちの意思が、様々な人の様々な角度から明らかにしていくという事。
カンファレンスではなくネットワークの重要性を30年近く欲してきたように思います。
さてさて、
この先日本にFGCはどのように根付くのか?
私としては、
FGCではなくTGNかと思っています。
すなわち、
「たこの木(T)を介して集まった人々(G)によるネットワーク(N)」によって、
誰もが地域の中で暮らし続けられる方法を見出していきたいと願っています。