コンビニの前でしゃがんでガリガリ君を食べている二人
よくありがちな風景
ぼくが食べてるのはソーダ味
トキメキ君が食べているのはキウイ味
ほんとは「ガツンとみかん」味を買おうと思ってたみたいだけどお金が足りなかった。調子がわるいとそれだけでパニックになってしまうトキメキ君だがいつになく安定しているせいか「しょうがない」といってあっさりとキウイ味を買った。
梅雨の晴れ間の青い空
コンビニの駐車場に役所の車がとまる。
「あら〜 トキメキ君じゃない 元気でがんばってる?」
機嫌のいいはずのトキメキ君なのに返事がない。長い自立生活の中でその人とはいろいろとイヤな思い出があるのか、それともアイスが口の中にはいっててただ話せなかっただけなのか。ぼくはぼくで、いちおうヘルパーの心得として軽く会釈をし愛想笑いでも浮かべなければならない場面であるのだが、そんなことはおかまいなしにただぼんやりと空を眺めていた。実のところトキメキ君の存在さえ忘れてしまいそうなそんな平和な気持ちにみたされていた。
窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
≪これが私の優しさです 谷川俊太郎≫
「逝かない身体」の著者川口有美子さんだったらこの詩についてどんな想いを抱くのだろう。でも川口さんだったらスェーデンボルグ思想に影響をうけたボルヘスとかの詩のほうが好みだったりするのかな。
ぼくが学生のころ谷川俊太郎が好きな素敵な女性がいてそれでぼくは谷川俊太郎の詩をよく読んだ。
ヘルマン・ヘッセが好きな素敵な女性がいればヘルマン・ヘッセを読み
三島由紀夫が好きな素敵な女性がいれば三島由紀夫を読み
ジャスパー・ジョンズの絵が好きな素敵な女性がいればジャスパー・ジョーンズの絵を部屋にはり眺めた。そんなぼくを周りの友人たちはバカにし、「お前みたいな不純な男は最低だ」と怒りだすやつがいれば
「不純とはなんなんだろう
純粋とはなんなんだろう」
と、素敵なある女性が好きだった哲学者クリシュナムルティの本を読んだ。
退屈で退屈で溶けてしまいそうだった学生時代、そんな素敵な女性たちが好む本をよんだり、絵を眺めたりするのは大きな楽しみであり、苦しみであった。
谷川俊太郎をはじめそれらのたいていの本はぼくを悩ませ、いらただせた。
思わせぶりで、作者たちは単純なことをただ難解に表現したいだけなんじゃないかと考えずにはいられなかった。理解に苦しむことを理解しようとし理解し得たところでそれが僕にとってたいして有益なものと感じられないのに、もはやそうせずにはいられない自分に対して理解に苦しんだ。
こんなことを繰り返してぼくはいったいどこへいくのだろう
そしていつの間にかそんなことさえあまり考えないようになっていた。
空の青さを見つめていると
私に帰るところがあるような気がする
だが雲を通ってきた明るさは
もはや空へは帰ってゆかない
陽は絶えず豪華に捨てている
夜になっても私たちは拾うのに忙しい
人はすべていやしい生まれなので
樹のように豊かに休むことがない
窓があふれたものを切りとっている
私は宇宙以外の部屋を欲しない
そのため私は人と不和になる
在ることは空間や時間を傷つけることだ
そして痛みがむしろ私を責める
私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
《空の青さを見つめていると 谷川俊太郎》 (よこた)