2013年07月05日

「わかってくれる人だけにわかってもらえればいい」ノート@

みんなにわかってほしいと思って書くのとわかってくれる人だけにわかってもらえればいいと思って書くのとではどちらが面白いか?

一概には答えられない。


学校の先生がみんなにわっかってもらいたいとおもってやる授業とわかる人だけにわかってもらえればいいとおもう授業ではどちらが面白いか?

一概には答えられない。



  本当に面白いことを書きたいと思えば自分にしかわからない事を書け・・吉本隆明



みんなにわかってもらえるなんて思わないほうがいい。

みんなにわかってもらえるなんて不可能だ。



だれになにをわかってもらいたいのか?



人は人との間を、多くの場合言葉で埋めようとする。

人は人との距離を、多くの場合言葉で測ろうとする。

人と人との距離を言葉によって距離を縮めたり広げようとしたりする。

しかしこれらが言葉では通用しないときがある。

言葉以外にも人と人との間を埋めたり、測ったり、縮めたり、広げたり、確かめ合ったりすることができるものはたくさんある。

絵、音、芸術、ダンス、さわる、離れる 、もしかしたら言葉以外のすべてのものも人と人との間を埋めたり、測ったり、縮めたり、広げたり、確かめ合ったりすることができるものだといってもいいかもしれない。

しかしこのブログでは言葉にこだわってみることにする。

「わかってくれる人だけにわかってもられえばいい」ということにもこだわり続けることにする。


どうにかしたいのに言葉ではどうすることもできないときがある。

あまりにもどうすることもできなくて怖くなるときがある。

恐れ 畏れ

なにをそんなに畏れているのだろう

人の心の闇

最近、「たましい」という言葉がよく頭に思い浮かぶ。

畏れおおい言葉だ。

あまり無闇やたらに使うべき言葉ではないように思う。

「共に生きる」系の人々にとっては「心のノート」などで悪名高き深層心理学者河合隼雄さんの本を読み返す。

河合隼雄著 「こころの処方箋」から ・心の支えがたましいの重荷になる・という章から一部を引用する。

  【 それでは、たましいとは何か。心でさえあるのかないのかわからないのだから、たましいはなおさ   らのことである。ここに椅子がある机があるというのと同じような意味で、「ある」わけではない。   しかし、心というものがあると仮定して話をする方が便利なように、それよりもう少し深く考える
   場合は、心の下(奥)にたましいがあると考えた方が便利なことが多い。
    たましいの特徴は矛盾に満ちている。人間の心はそのなかに矛盾が存在するのを嫌うので、たまし   いの方は矛盾をかかえこむのだ。たましいは極めて個別的であると共に、極めて普遍的である。】

 自分にしかわからないどころか自分にもわからないことを書こうとしているのかもしれない。でもそんなことは私にとっては日常茶飯事なことかもしれない。できることならつづけてみたい。 つづく
posted by takonoki at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック