あの時の当事者の会の話題はグループホームに住みたいかとか自立生活についてとかどういうとこに住みたいかといったような話題とは無縁といっていいほど別の雰囲気に支配されていたので、彼が今のグループホームで暮らすようになった経緯を語りだしたのは唐突といえば唐突だったといえる。当事者の会での話題は常に唐突だといわれればそれはそうだというしかないのだが・・・・・・・・。
私見といってしまえばそれまでだが、あの日の当事者の会は予想以上に当事者の積極的な提案や意見がでていた。参加者を増やすためにチラシを作って公民館においてもらおうという支援者からのアドバイスがあったわけでもなさそうな提案に当事者間での議論が成立していた。
私を含む支援者たちはいつものように全くといっていいほど口をはさまなかったが、それは当事者の人たちから「監視されているみたいでいやなので支援者も意見を言ってほしい」と批判されることのうしろめたさ以上に私が少しでも口をはさめば今のこの当事者の人たちの自由な雰囲気をこわしかねないという気持ちがあったのでそれに関しては気が楽だった。やはり当事者の人たちの意見や振る舞いはいつもより少し違っていて、支援者の目なんてまるで気になっていない空気が時おりながれた。当事者の会らしからぬ気負いのない「俺は障がい者だから・・・・」とういうような発言に、知的障害は当事者によるものではなく関係性の問題とか、障害ではなく個性だなんて考えは少なくともその場ではまさに他人事の意見以外なにものでもなくもちろんそんなことをいう人は誰もいなかった。
「俺は障がい者だから・・・・・」
さりげなくそして支援者をはばかることなく自由な発言だからこそリアルさを目の当たりにしてしまったのだろう。
その直後だったと思う。いやその直前だったかもしれない。
「ずーと」の人が数人の当事者の人に非難の目をむけられたのは。非難の理由は彼がとある集まりで机の後片付けをしなかったとのこと。確かに彼は他の人たちにくらべ遠方にすんでいるので当事者の会でも早めに帰ることが多い。非難した人は軽い気持ちで新しい話題をふるくらいのつもりだったのかもしれないが、即座にその話題に乗り皮肉のこもった笑みをうかべた狡猾な数人の目が「ずーと」の彼に向けられた。
当事者の会でしか私は会うことのない彼なのだがここ何か月か以前にくらべ元気がないことも気になっていた。そして何か月かいつも彼は非難をともないながらからかわれる役回りに陥ってしまうことも気になっていた。もはや私は監視されているみたいでいやな支援者になることしか思いつかなかった。そうしないと致命的になりかねない。実際これまでの当事者の会でこのような状況になって取り返しがつかなくなったことは何度もあった。できるかぎりイヤな雰囲気にならないよう振る舞って非難している人たちを非難した。そしてなんとか後片付けの話題を回避した。
彼が今のグループホームに住むようになった経緯を語りだしたのはそれからだった。以前当事者の会で元気だったころの彼からいろんな話をきかせてもらっていた。だから「ずーとこのグループホームに住もうと思っている」の「ずーと」にはいろんな気持ちが詰まっているようにきこえた。嬉しくもあり、悲しくもあり、楽でもあり、苦しくもある「ずっと」だった。
「ずーとこのグループホームに住もうと思っている」という彼の言葉にたいして誰もなにもいえなかった。おそらくだれもその言葉に対して全面的に肯定なんかしてないはずなのに。そしておそらくそこで何をいったとしても「俺は障がい者だから・・・・」に対してと同様無責任な他人事の言葉にしかならなかったと思う。
重い言葉だったと思う。それでも当事者でない私はすぐに忘れてしまうのだが忘れないほうがいいと最近よく思う。
日々の生活のなかで現実におこっている様々なできごとと、その時期 に読んでいる文学作品とを結び付けたり重ねたりして考えることは自然ななりゆきだと思う。
あの当事者の会があったころ私はカズオ・イシグロ(日系イギリス人)が書いた小説「わたしを離さないで(原題はNever let Me Go)」を読んでいた。臓器移植をするためのクローン人間がクローン人間用の施設で育ち大人になって施設を離れ、臓器を提供するクローン人間の介護人となり、そしてその介護人もやがては臓器提供者となり短い生涯を終えるという物語。
魂とはなにか?自己決定とはなにか?権力とはなにか?
原文を超えると定評の高い翻訳者土屋政雄の翻訳タイトル「わたしを離さないで」の私とはだれのことなのだろう、離さないでとはどこから離さないでといっているのだろう。「わたしを離さないで」を読んでいるとまるで魂と対話しているような気になってくる。