心の底ではこれまでずーとそう思って支援をしていたわけだからいいわけがない。そして今後もそう思いながら支援をやる可能性大なのでつらい限りだ。
だから西山さんのブログなんか読むと私は完全にバカにされていると思ってしまう。もっともだと思う。情けないことに、よくぞバカにしてくれたとホッとした気持ちにさえなってしまう。私が自意識過剰なだけで西山さんは全然そんなこと思ってないのかもしれない。
しかし少なくとも当事者の会での支援がどうしょうもなくダメだなと自分で思っているのは確かなようだ。
当事者の会での支援の在り様は岩橋さんや西山さんとこれまでさんざん話あったが、もうなんか私は聞く耳がもてなくなってしまっている。ぶちゃけ当事者の会より当事者の会についてたこの木のスタッフと話あうのがもっとイヤだ。
どうしよう?
今、思いついたことだが「ダメ支援者でどーもすみません」的なスタンスで当事者の会にのぞむのがいいかもしれない。
支援の魅力がどうしてもいまひとつみいだせない。強い確固とした魅力や面白さをもっていれば辛かったり、苦しかったりしてもかなりやれるとおもうが、やはりその確固とした魅力を見出せないでいる。
真面目に誠実にやればどんどん魅力がでて面白くなる。そんなそういう分野ってあるとおもうけど、知的障がいの世界では遊び心やユーモアというものがなければ魅力は出てこないと思う。そしてユーモアというのは常に対等性というものが求められる。
魅力あるものにしていくために、当事者と支援者との間にどれだけの対等性をつくりあげていくか。
対等性というのはかなりキーポイントかもしれない。
来週はたこの木通信なのでそれまでにこの対等性について考えてみたい。