ここ二週間ばかりたこの木のブログを読んでいない。
これからもしばらく読まないつもりだ。
読む気がしない。読みたくない。
読むのがこわい。
読むとつかれる。
読むと書く気がなくなる。
これはウソではない。
ウソではないのだが、それでもこのようなことをワザワザたこの木のブログに私が書くのはいくらなんでもマズイんじゃないかと思っていた。許されないことだと思っていた。
常識としてありえない。
そもそもこのようなことを書こうなんてこともいままで思いもしなかった。(あれ?ひょっとしたらたこの木通信とかでそんなことしょっちゅう書いてるかも?)
でも今回はこんなことをワザワザかいてみようと思った。
A「死にたい」 B「死のうとおもう」
A「たこの木をやめたい」 B「たこの木をやめようとおもう」
A「離婚したい」 B「離婚しようとおもう」
こうして考えてみると「〜したい」というのと「〜したいとおもう」という両者とではかなり次元が違う。
最近気づいたことだが、私の場合「離婚しようとおもう」とおもったことは記憶にあるが、「死のうとおもう」や「たこの木を辞めようとおもう」とおもったことは記憶にない。
「死にたい」「たこの木をやめたい」なんてことはしょっちゅう口にしてるけど。
今回はとっても過激なことを書くつもりだったが実際かいてみると結構ありきたりな日常生活っぽいことを書いている気もする。
それにしても毎週たこの木のブログを書くというのはきついなー。どうしょう?
しかしこの身が持たないってあたりは「持続可能」にとって必要な気もする。