これって「そんなにつらいんだったら生きてなくてもいいんじゃない」と思ってしまうのと同じだったり、大差ないことかもしれませんね。
でもたまに当事者が暴れまわってどうしょうもないときに痛切にそう思ってしまうときがいまだに私にはあります。また知的当事者ばかりでなく身体介護をしていた時も痛みで何年ものたうちまわっている自立生活者の介助をしているときに「そんなに苦しんでまで生きることないんじゃない」と思ったこともあります。そんなつらい介助が終わり、その自立生活者の家をでて外の空気に触れると「心の平安」というものがどれだけありがたいものか骨身にしみるような気もします。
介助者も利用者もコントロールできない利用者の痛みや苦しみ。
やはり、私には当事者が本当に辛そうにみえて仕方がありません。そして当事者がつらそうにみえて仕方がない私は辛いのです。
で、やはり私にはこの「つらさ」抜きに介助やたこの木の仕事について考えることはできないのです。何よりもこの「つらさ」に興味があり、この「つらさ」がなければたぶん介助やたこの木の仕事やめているとおもいます。
そもそも私はこの「つらさ」について考えてみたくて介護の仕事をやりました。なんだか自分でも不純な気持ちがしましたが、哲学者中村雄二郎の「パトスの知」や「臨床の知」の考え方が、躊躇する私を後押しし続けました。
たこの木通信の私の文章にはかなりの中村雄二郎の本からの盗作があります。
よくは知らないのですが「べてるの家」もそれに近いものがあるのだと思います。
みすず書房からでているべてるのことを書いた「治りませんように」という本があります。
この本の帯には、苦労の哲学 ただ治そうとする生き方をやめ、病気のなかで、それとともに生きることを受け入れるとき、病気は重い荷物から宝へと姿を変える。べてるからのメッセージ。とあります。
「つらい考4」の岩橋さんの文や、まあまあ左脳タイプさんのコメントに返事を書くつもりでかいたのですが、今回はこのへんで。
実は先週もつらい考の文章をかいたのですが時間のある人は読んでください。
「つらい」とか「苦しい」とか「悲しい」とかそういうものになぜ興味がでるのか、昔は自分でもすごく不思議でした。そういうものに魅かれる自分てなんなのかわからずよく苦しみました。
例えばオフコースの「さよなら」という歌があります。とっても悲しい曲です。
♪ もう、おわりだね〜-・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・サヨナラー サヨナラー サヨナラー ♪♪
この曲が流行ったのが1980年、私が小学校6年生の時であります。
どうして僕はこの曲をきいているのだろう
どうして僕はこの曲を歌っているのだろう
どうして小田和正はこんな曲をつくったのだろう
どうして小田和正はこんな曲をうたうのだろう
どうしてこんな曲が流行っているのだろう
小田和正も僕もみんなもいったい何がしたいのだろう
小学生ながらに悩んだものでした。
この悩みは20歳を超えても私の場合かなりで引きずっていました。
おりしも私の20代前後というのはバブル期。とってつけたような異常な明るさ。プラス思考なんていう言葉が流行り、暗い、汚い、苦しいというような負のイメージはまるで忌み嫌われとことん排除するか、覆い隠すことがよしとされる風潮が世間では漂いまくっていました。
しかも私は何をまちがったのか文学部日本近代文学科に所属してしまっていたので、いやでも悲しいとか苦しいという感情が一冊の本の中で響き合い美しい音楽のように調和しているのを目の当たりにもするわけです。
大学を卒業して仕事をしても「つらい」とか「悲しい」とかいう感情はもう排除の対象でした。
「悲しい」とか「つらい」というのは人間にとって取り除けばいいだけのものなのだろうか?だとしたらオフコースの「さよなら」をきいた時の私の気持ちはなんだったのだろう?
「つらい」とか「悲しい」とかいう感情をただ取り除けばいいという捉え方ではどうしても腑に落ちないのはなぜか?
ここまで書いておもいもよらぬことがおもい浮かんだ。
例えばキリスト教の世界でいわれる、天国にいけば悲しみも苦痛もない。だからこの世における悲しみや苦しみは試練として乗り越えなければならない、という捉え方。
つまり悲しみや苦しみは試練だという捉えかた。それもわかるきがするのだが、例えば癌とたたかう生き方がある一方で癌を受け入れるという生き方がある。癌を克服するのではなく癌と共存するという考え方。生き方。 どちらが正しいという問題ではなく。
ただたこの木においてはやはり例えば癌でいうなら癌を克服するというより癌と共存するという考え方、生き方。
知的障害を克服しようという考えかたではなく、知的障害と共存していこうという考え方。
つらいを取り除こうという考え方ではなく、つらいと共存していこうという考え方。
で、この取り除こうというのは近代科学の知
障害と共存しその共存の中で活かしていこうというのがパトスの知
で、パトスの知というのが中村雄二郎という哲学者がいった。