実際対象となる人は全国を見渡しても数えるほどしかいないようですし、
様々な課題が山積み状態です。(何が課題になるかさえ見えていない面がありますが…)
まずは一転突破を図り、3年後の見直しに向けて全面展開できればと願っています。
すでに、4月から重訪に切り替えたと言う情報も入っています。
長年行政とのやり取りを重ねる中で重度知的当事者の自立生活支援を担い、
又、自らが相談支援事業所となることで、その展開の速さに頭が下がります。
すでに自立生活している人たちの重訪への移行をどのように取り組んでいくかと言う点と、
これからの自立生活を考えている人たちの重訪利用。
前者と後者があいまって展開していきたいと望みます。
それぞれの現場は個々様々で、
自らに不足している事に目を向ければ後ろ向きになりがちです。
例えば、
信頼できる相談支援事業所がない。
行政が無理解。
担い手がいない。
派遣できる事業所がない。
そもそも自立生活を考える知的当事者がいない。
等々。
ないない合戦をすれば、
意思決定に困難さを抱える当事者たちの暮らしは、この先永遠に変わる事がないように思います。
ないない合戦ではなく、
他者の取り組みをわが身のヒントとして、
ないとあきらめずに探す。
本当にないなら作る。
何から手を付けて良いか解らなければ、いろんな場を訪ねたり、一緒に考える仲間探しから始めたりと、
様々な人たちとつながる事でこの先を紡いでいければと願っています。
という事で、
重訪移行一番乗りは逃したたこの木ですが、
私たちとしては、ないない尽くしでもやれる方法や
これからの自立生活を考えている人たちの事を想い描きつつ、
今後、地元の取り組みや情報をお伝えしていきたいと考えています。
又、各地の情報をぜひぜひお寄せいただき、
ともに考え担う機会にしていきたいと願っています。
どうぞよろしくお願いします。
ラベル:重度訪問介護
制度はきっかけで手段です。普通に(って何が普通か分かりませんが)分けられたまま暮らしていたら出逢わなかったアナタ(健常者とやら)とワタシ(障害者とされる)が、制度でもって介助者と利用者として知り合い同じ時間空間を過ごす。
その中で、これを機会に、異文化交流。言葉依存で偏差値偏重や経済資本主義に染まった健常者アナタと、言葉というアイテムはパッケージ無しに剥き出しの…云わば丸腰で不利なままそれを受け入れアバンギャルド(でしょう!)に生きるワタシ(の仲間)が、お互いを知り、より良く生きるを目指し協力していく…あー、病んでますな、ムダに言葉を羅列している。
いっしょにいるとたのしくて時給とか障害とかもう関係なく、また会いたいと感じる、時々、たまらなく、デドックス…。
そういう人に育てませ、魅力あるヒトに。障害なんて関係ない…とは言わぬ(言えない自分を認識している)。しかし、障害と呼ばれるほどに不利な個性を埋めて有り余る何かを。
彼は何ができないとかどこが皆と違うとか
そんなんばっかに注目するなさせるな
いいとこいっぱぁーい、知らないヒトに教えてあげよ。
それが「つらいつらい」の先にあるモノの1つだと思うよ、少なくともわたしはそういう意味のことをイワチャンEアドレスへ送ったんだけど。どこでどうああ解釈されたんだろ(タメイキ)
おっしゃらている事については、異論はないですよ。
そこを是非めざしていきたい。
でも、現実はそうさせてもらえない。
そうさせてもらえないならしかたないとあきらめるのではなく、いづれの日にか挽回したいと思うことしきり。
その機会を狙っているつもり。
ただ、たこの木周辺で自立生活している人たちのような人がどれほど全国にいるかと数えてみれば、なさけないかな本当に少ない。
少ないという現実はいろいろあるのでしょうが、重訪拡大は様々なものを挽回するチャンスだと思っています。
想いと力量が伴っていないですが・・・