2013年12月25日

つらい考 4

なんだか横田さんとの往復書簡の様相になってきましたが・・・
「つらい考3に対して岩橋さんが何を書くだろうと思っていた」と横田さんが言うので書いてみます。

まずは、
「辛いという価値基準を持ってはいけないという危機感が岩橋さんにはずっとあったのでしょうか?」と言う横田さんの問いに対しては、
「つらい」を価値基準にしているか否かでいわば、まったくそこは基準としていないし、基準にはならないと思います。

横田さんは、

普通学級はつらいから養護学校にいく。
地域はつらいから施設にいく。
自立生活はつらいから入所施設で暮らす。


と言いますが、これらは当事者の親や当事者自身のつらさであって、
この間取り上げなければと思っているのは、介助を担う側の「つらい」と言う話だと思っています。

そして、私自身は「つらい」を上回るものが日々の中にあり、「つらさ」を持ち合わせていなかったようだけども、実はそうではなく「麻痺」しているだけと「つらい考2」で書いたつもりでいます。

当事者の「つらい」については、逆に日々様々な場面で感じています。
そして、その「つらさ」と言うものは本人が勝手に抱いているものではなく、
私たちの側が抱かせているものとして、見過ごせないものとして常に考えてきたつもりです。

横田さんの言葉を使えば、
「養護学校はつらいから普通学級へ」
「施設はつらいから地域へ」
「入所施設はつらいから自立生活へ」
という事に対し、自らが何をなすべきなのかを常に考えてきました。
又、様々な人とのつながりや助けがあって、私一人ではどうにもならない現実が何とかなってきたし、何とかなってきた事を振り返れば、「あきらめずに想い続けてきて良かった」と思うし、その事によってさらに先へと進めていけるのだろうと思います。


ただ、そんな想いや視点で長年取り組んできて、それなりに経験を持つ私が周囲に語る事によって、
周囲は「つらいと想い描いてはいけない」という想いを介助者や支援者たちに抱かせていたなら、
そこは改めなければならないですね。

それから、
何故「つらい」を考え始めたと言えば、
時代の問題ではなく、気づきの問題ですね。
「麻痺」と表現したように気づかぬままにここまでやってきた私にきづいたという事。

ただ、
「つらい」を語らなければならない時代と言うならば、
それは、制度が進み制度によってある面当事者たちの暮らしは過去とは比べられないぐらいに、とりあえずなんとかなっている。
又、制度の乗っかった支援が担えるようになり、経済的なつらさは過去と比べ物にならないぐらい良くなっていると思います。(不安定さに目を向けるとまだまだだし、上を見るときりはないですが)

一面においては、それなりになってきた支援の現場ですが、
それでも離職率の高い状況。
そこには、単に経済面とか仕事の中身よりも、
どのような支援を担うか?
何を持って担っているのか?
という、個人の資質が大きく影響していて、
何かをつかんだ人はそれなりに継続できても、
何かをつかめない人は去るしかない。
そして、私自身も何かをつかんだ口ですが、
何かをつかんだとしても、つらさがなくなっているわけではないという事をいかに捉え考えていくか?
そのためには、「介助・支援はつらいか?否か?」ではなく、
「つらいもの」として考えなければと思っています。

そして、
それは「時代」か否かはよく解りませんが、
これから経験していこうとする人たちが思い描く事に耳を傾ける事が、
私自身の今後の取り組みを考える事でもあると想っています。

時代と言う面で考えれば、
これまでは、様々な関係性の上に制度を利用してきました。
「自立生活支援を考える会」の中でも、
「制度と関係性」と言うテーマで話を交わした事もあります。
「つらさだけでなく、つらさが充実感に変わる」と言う想いを私自身も抱かないわけではありません。
しかし、
制度や支援の体制が出来上がったあとに担い手となる人たちが増えてきたいる現実。
その点についてはまさに「時代」であり、
その人たちが描くものといかに付き合うか?

「岩橋亡き後」と横田さんが書いていたように、
様々なものが生み出されたとしても、それを継続していくために課題となる事をあれこれ考えます。
又、先日顕になった千葉の施設での虐待事件。
入所施設だから起こったと言う捉え方ではなく、
私は「介助者・支援者」たちにある「つらさ」を当事者に転嫁した結果として見ています。
そして、そのような状況は自立生活の場においても、
密室状態で担われるヘルパーと当事者との関係の中で同様の事が起こる可能性はあり、同様に起こってしまうものとして「つらさ」の存在を認め、それを「当事者に転嫁しない」事として考えなければならないのだろうと想っています。

では、
その「つらさ」とは何か?
横田さんと西山さんと私とであれこれ話す中で想い描く事は、
何かが違うような気がしています。
なので、ここは西山さんにも参戦いただいて一緒に考えたいところではありますが、
とりあえず、今回はここまでという事で。



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2013年11月25日

インクルーシブ教育って

去る11月23日。
「社会で共に生きるとは」と題された、子どもを分けない教育を考える会 練馬・教育問題交流会の集まりに行って話を聞いてきた。
そもそもは、当事者Iさんから「今度僕が講演するのできてください」と誘われたからで、
いろんな話が聞けると思い出かけていったのです。

実際は、Iさんの恩師であるTさんが支援学校・支援学級・普通学級を経験してきた事から「共に生きる」事について考える会でした。
とは言っても、Iさんともう一人HさんがTさんの両脇を固め、
Tさん自身が教師として関わってきた事のその先にIさんやHさんが確かに存在している事を実感できたとても有意義な会でした。

私はIさんやHさんとは彼らが成人してからの付き合いなのですが、
恩師を前に語る彼らの姿は、普段見せないものを感じさせてくれました。
そして、今は一見なんてことなくやり取りしている彼らも、
小中高校時代には、様々な事があったようです。

そして、もし彼らが今の学校に通うとしたら、
それはすぐさま発達障がいだのADHDだのといわれ、普通学級から追い出される対象とされてしまう。
(それを今なら笑って話をする3人の姿も素敵でした)

そんな彼らが普通学級で過ごし、Hさんは定時制高校へも通い、今日に至っている。

Tさんいわく
「共に育ち・共に生きる事は、問題を抱えつついかに解決していくかと言う模索をし続ける事」
「どういう風に支えあっていけるか?」を学ぶ事。

と言うのをさらりと言うのですが、
本当にそうだと思いました。

インクルーシブ教育の何チャラが言われている昨今。
その理念も、その実態も、あれやこれや様々な意見や想いがあると思います。
専門家と称される人たちもあれこれ語っていると思います。

でも、
「問題を抱えつつ以下に解決していくかを模索する」
その1点を以下に保障するかが、インクルーシブ教育の本質なのではないかと改めて思いました。

決して普通学級はどの子にとってもバラ色の場ではないと思います。
でも、そうなってしまったのはどこか正解を求め、正解から外れる事を恐れ、不正解にならないために人を蹴落とさなければならない場所にしてしまったからのようにも思います。

「障害児にとって今の普通学級ではまともに教えてもらえない」
「健常児にとっては、情緒面では良いかもしれないが、実際障害児がいると勉強が遅れ、どちらにとっても不幸」
「いづれの子にとっても分けて学ぶ事・個別の支援を受ける事が望ましい」という
大人が提示する「正解」に子ども達を縛っている今の学校。

Tさんが長年教師として担ってきた事は、
「教師にだってどうして良いかわからない」「解らないけど支えていくしかない」と言う事で、
教師が悩めば子ども達地も一緒になって悩む。

「いつもクラスを飛び出すA君を飛び出すたびに追いかけていると、別のクラスの子が先生A君のこと追いかけるのやめて!僕達の勉強が遅れる」と言ったそうです。
その時Tさんは、
「でもね、あなたが怪我をしたり気分が悪くなったときには、他の子ども達を置いてでもあなたに関わるから追いかけさせて」と、何も考えずとっさにその子に言ったそうです。
すると、その子はすぐさま納得してくれたとの事。
「これでよいと思っていったわけではない」とするTさんの話は、
教師も生徒も悩む機会をA君から与えられ、その解決を追い求める姿のように思います。

そして、その解決は決して「正解」のない、今の今を折り合っていく事のように思います。

普段、「折り合う」事を追い求めている私。
常に回答を求めてくる若い人たち。

たぶん分けられてそだって来た人たちは、答えの出ない「折り合い」を続けていく経験を奪われているのだろうと思います。

何が良い・悪いではなく、
なぜ良いとするのか?
なぜ悪いとするのか?

それぞれがそれぞれの中で思い描き、他者と折り合っていく。

誰かに聞き従う。
解りやすさを求める。
形を明らかにする。

人を聞き従えようとする者と聞き従う者。
解りやすくしようとする者と解ったものとする者。
形を作る側と形に乗る側。

人の暮らしって、そんなにこちらかあちらかではないと思います。
でも、幼い子ども達は、まず普通学級か支援学校かに分けられていく。
分けられてしまうと双方相手の事が見えなくなる。

見えないものを考えるなんて子ども達には非常に難しい。
なので、見えないものに不安を抱き、自分はそうならないようにと自分のことだけでいっぱいになる。

そんな事もあれやこれや思い浮かべつつ、
どうあがこうが、一緒にいるしかない状況が、インクルーシブ教育なのではないかと思いました。


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2013年10月29日

もそもそ悩む

とってもなんにもしたくない気分なのでブログを書いてみることにしました、西山です。

先週、ブログに書いたように「障害」のあると見なされた小学生たちがどんどん精神病院に連れて行かれているということがショックだった私はとりあえずたこの木にあった本を読んでみました。


障害があるからこそ普通学級がいい 著 片桐健司



加えて、とある当事者宅にて、とある当事者が中学の普通学級に入るための就学闘争について取材されたテレビ番組のDVDがあったので少し見てみました。

さらに、小・中学校普通学級に行ったとある当事者のお母さんが当時の周りの親の反応や、教師の反応を話してくれることがありました。


本の方は、題名の通り、「障害」児が普通学級に入って、周りの子供たちの中で成長する様を教師の目線から淡々と、温かく書かれたもので、これを読んでいると素直に小さい頃から分けられずに育った子供たちが良いなぁ、羨ましいなぁと思える。


DVDの方は、小学校の普通学級に通っていた男の子が中学校の普通学級への入学を認められずに養護学校に行きなさいと教育委員会から命じられるも、それに従わず「自主登校」という形で中学校に通っているというもの。しかも自主登校とはいっても、朝の朝礼?的なものが終わるとみんな教室に入り、そこには入れてもらえないので一緒にいられるのは朝の数分だけ。


当事者のお母さんの話は、何度も臨時の保護者会が開かれて他の親から「娘さんのあげる声が授業妨害だ」なんて散々ひどいことを言われたけど、先生たちが「絶対最後まで一緒に卒業させる」とずっと頑張ってくれたという話、でした。


うぅ。

DVDで、当時者が小学校の時の友達とかとじゃれながら登校して、なんとなく朝礼も一緒にいて、で、授業の時間になるとピタっと体育館の扉を閉められる場面があるんだけど、こんな悲しいことはないよなぁ…

元々みんなの中にいたのに急に追い出されたり、そもそもいれてもらえなかったり、そっちの方が「うちの子が静かに授業を受けられない」なんてことよりよっぽどよっぽどかわいそうじゃないか!という気分。


になるのは、私がたまたまこういうところで働いているからで、きっとこういうところに関わらず生きていたら私も「なんでああいう子が普通学級にいるんだろう」ぐらいは思ってる。


よなぁ。

というぼんやり。

なんか文章スッキリしないのは風邪を引いててぼんやり頭だからなのでした。
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2013年09月26日

旅のはなし

こんにちは、西山です。

明日、明後日…あと2回であまちゃんが終わってしまいますね…

悲しい、悲しすぎる。


終わるのは悲しいけど最終回に向けて今週は怒涛のハッピー週間で、本当に朝からいい気持ち(●´ω`)

やっぱり地元に帰ろうだなぁ〜



私は先週の3連休で広島・香川旅行に行ってまいりました。

尾道!
写真 1.JPG


小豆島!のオリーブ!
写真 3.JPG


まさか尾道があんなに良いところだとはっ!

瀬戸内の海があって、港があって商店街があって、線路があって、石畳の階段、小道があって、お寺がたくさんあって、下を眺めても上を眺めても絵になる。

そうそう、尾道ラーメンも全く期待してなかったけどとってもおいしくてこれまたびっくりでした。


そして私は初めての四国へ。小豆島のオリーブ、そしてうどん!

うどん屋さん、本当にたくさんありました。そして美味しかった(*'▽')

2件行ったのですが、1件は柔らかめの胃に優しい感じ、もう1件はコシの強い麺。香川の友人いわく、店によって麺が全然違うし、釜玉はここがおいしい、肉うどんはここがおいしい、という感じで使い分けてるそうです。さすがうどん県。


そんな感じでリフレッシュしてきました。

小豆島といえば、

ということで、旅行中のお供に。


それと尾道の志賀直哉記念館で

購入。
おしゃべりなおばちゃんと話が弾むと手掘りのとっても粋なスタンプを押してくれます。
写真 (7).JPG


…あんまりにも個人的な内容になってしまったので、本を紹介してみることでかろうじてたこの木ブログと接点を作ってみた、つもり。


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ということでワンクリックよろしくお願いします。
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2013年09月09日

PF大会の参加申し込み

今年大阪で開かれるピープルファースト大会(PF大会)。
今年もたこの木周辺の人たちが参加する。

たこの木周辺と言うのは、たこの木に関わる人たちがそれぞれの場や個人としてそれぞれに申し込み現地で会う事を常としてきたから。

とかく、大会に参加してみると、団体単位で参加している姿を良く見かける。
それなりに自分で動ける当事者たちは、団体を利用している風にも思えるが、
一人で動けない、動くことに不安のある人たちは、常に集団の中にいたりする。
それも、当事者の選択で団体を利用していると言えなくもないが、
時折、本人の要望(行動)が団体と違った時、支援者たちが必死に説得したり抑制したりする姿を見る。
そんな姿を目にすると
「当事者の大会だからこそ、個々の当事者が各々の想いで参加できるよう」と思う気持ちが生まれ、
長年個人単位で参加できる支援の体制を願い続けてきた。

しかし、
個人としての参加を保障すると言うことは、個々人に支援が必要となる。
「大会に参加することを支援する」と言うことは、単に「大会期間中(会場への行き帰りや宿泊等も含む)を介助する」と言うわけでもない。

本人たちが大会を理解し自らの状況や想いを発し、全国の仲間たちと出会う機会とするには、介助者と言うよりも支援者としての参加が求められるように思う。
すなわち、支援者の側が大会そのものに興味を抱き、集う全国の人たちとの出会いを求めることが必要になると思うのだが、当事者と一緒に参加する支援者が必ずしもそういう思いを抱いているとは限らない。

当事者自身が行く気満々ならば、その後ろからついていくことで支援者も楽しいし実感が持てると思う。
しかし、必ずしもそうではない。

初めて参加する人は、多くの人たちに戸惑うことがあるだろう。
人に声をかけることやかけられることに戸惑う人もいる。
それらは、決して大会をマイナスに見ているのではないと思う。
でも、単に介助としてついていくと「つまらなく思っている」と見えてしまう。

当事者たちを大会の輪の中に誘う事や、当事者が抱く関心を知り周囲とつなげていく事など、
支援者に求められることはたくさんあると思うのだが・・・

支援者自身が大会に関心を抱かなければ、
当事者もまたそれに引きづられて関心を抱けない。

「大会に関心を抱いていないなら当事者の参加を支援するな」とは決して言えない。
支援者がいなければ、当事者は大会そのものに参加できないから。
たとえ、支援者が関心を抱いていなくても、
当事者がその場にいる限りは、何らかの出会いがあるだろうと期待する。

又、ただただその場にいるだけではなく、
様々な想いを抱く当事者の思いを周囲に伝えることの支援もたくさんある。
でも、支援者が当事者の抱く思いに関心なく、ただただ日々を廻す介助をしているだけならば、
大会に参加しても何も生み出さないようにも思う。

そんなことを思いつつ、
実は、PF大会の魅力を支援者たちに伝え切れていない私自身が大問題なんだと思う。
なまじっか、介助料が出るようになり、支援者を集められる状況が生まれ、当事者の個人参加が保障されているかのように思っていた。
そういう思いを抱いていた私自身が大問題なのだと思う。

過去、介助料のみならず大会費用まで払って参加する支援者たち。
それはすでに、自らがPF大会に関心を寄せているからであることは明白だと思う。
しかし、介助料が出て、大会費用も当事者本人や団体が工面するようになった上で、参加する支援者たちに対し、もっとPF大会の魅力を伝えていかなければならないと思う。

それは、
一つには支援の側にいる私の主体としてあると思う。
もう一つは、
当事者たちが、支援者たちに対しどんどん訴えていくと言うこともあると思う。

後者については、私のことではないので当事者たちにゆだねるしかないが、
前者については私自身の課題として担わなければと思う。

と言うことで、
今年の大阪大会。
私はそんな想いをもって参加するので皆さんどうぞよろしくお願いします。


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2013年08月06日

それぞれの夏休み

今年の夏はとにかくにも異常気象ですね〜。
酷暑日があったかと思うと、大雨警報が出される日々。
同じ東京でも天気がまるで違うというのがなんとも不思議です。

8月といえば夏休み。
こんな暑い日が続くと仕事なんてやってられないし、
普段溜まった疲れを長期に休んでリフレッシュ。
とても大切なことだと思います。

でも、
自立生活支援に携わっている者にとっては、
支援を止めることはできず、一斉に休みを取るということにはなりませんね。

たこの木もそれぞれがそれぞれに順次休みを取るって感じです。

さて、
そこで気になるのが自立生活をしている当事者たちの夏休み。
日中系サービスが日割り計算になって以降、それほど長期の休みを取るということはなくなりましたし、
それとは関係なく、それぞれがそれぞれに休みをとって親もとに帰ると言う人たちもいます。

で、
地元で育ち、地元で自立生活している人たちなのですが、時に1週間〜10日親もとに帰ると言う人もいます。〈まったく帰らないと言う人もいますが)
「すぐ身近にいるのになんで?」と思ったりするのですが、
普段別々に過ごしているからこそ「たまには良いよね」って感じで、
当事者本人の予定や希望と親御さんの希望とを調整の上、しばしおやもとですごしています。

私にしてみれば、1週間〜10日も親もとで当事者たちは何しているんだろう?親と過ごす時間、間が持つのだろうか?と勝手に心配しています。

スタッフの西山さんも、1週間ほど親もとへ行くというのでその辺りいったいどうしているのかと伺えば、
親と一緒に過ごす以外に、同級生にあったり一人で遊びに出かけたりしているとの事。

確かに、親と適度な距離が取れれば普段の一人暮らしとは違い、結構リフレッシュできるのでしょうね。

それを知的当事者に当てはめてみれば、
介助や支援が不可欠な当事者たち。
親子の間柄で介助や支援という話にはならないでしょうし、
自立生活が始まる以前は、当然のごとくにやり取りしていたこと。
なので、べつに大したことないと親の側は思うかも。

でも、子 どもの側は?
確かに、久しぶりに会いたい気持ちはあるだろうし、親に甘えることだってあるだろう。
又、自立生活している事をあれやこれやと語り自分の成長ぶりを示したいということもあるかもしれない。
でも、日常付き合っていない親にしてみれば、そこんところを本人から知ることはできず、
以前一緒に暮らしていた時のままの関係になるかもしれない。

それを本人が良しとしていたらそれも良いと思うのだが、
そうでなかったら・・・?

親と子の関係は、とても大切だと思うが、そこに介助というものを必要とする時、介助することに引きづられ、ごくあたりまえの親と子の関係が築けないのではないかと心配する。
又、親の側から見てそんなこと考える間も良好な関係があったとしても、
西山さんのように、自分一人で行動しようと思った時、普段なら介助者がいるけど介助を親がするとなれば、親と子の距離は取れない。

なんてことを、
毎年夏と冬に思ったりするのだけど、
それも又それぞれの夏休みということなんだろうと思う。



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2013年07月29日

「自立生活」ってなんだろう?

「自立生活」とは?
「自立」=「自らによって立つ」「生活」と私はスッキリ思っている。

では、
「自らによって立つ」とは?
「誰か特定の人や特定の環境の中でした暮らせない」というものではないと言う事。

「特定の」というのは、
親や支援者と言う特定の人であったり、
「入所施設」や「社会的入院」と言う環境だと考える。

なので、「様々な」とか「いろいろな」という言葉をよく使う私。
「様々な人がいろいろな形でその人の周りに存在している」その中で暮らすと言うことが、「自立生活」だろうと思う。

でも、
「自立生活」という言葉は、「障害者自立生活運動」と言う歴史の中で生み出されてきた言葉。
私の暮らしを暮らしのことを同様に考えていても「自立生活」とは言わない。

たこの木通信に連載されていた「自立生活すればいいってもんじゃない」と言うタイトルの横田さんの記事は、
たこの木やたこの木を主宰してきた私がいなくても成り立つものとして、とても大切なことを言っていると思う。

「自立生活支援を考える会」も
「自立生活を考える」ではなく「生活支援を考える会」として私自身臨んでいる。

「自立生活」は、あくまでも本人のもので、私たちは常に支援や私自身のありようを「考え中(西山さんのたこの木通信の記事)」でなければと思う。

来年4月より、重度訪問介護の対象者が拡大される。
「府中療育闘争」に始まり、「重度脳性まひ者介護人派遣事業」⇒ヘルパー制度との統合⇒「日常生活支援」⇒「重度訪問介護」と言う歴史。
そこには、重度身体当事者たちが切り開いてきた「自らによって立つ」ための「介助保障」の歴史がある。
自らが必要とする介助を実現するために、「自薦登録ヘルパー制度」という枠組みも生み出してきた。(残念ながらこの制度は現制度下では、事業所派遣となりなくなってしまった)

まさに、「自立生活すればいいってもんじゃない」=「介助すればいいってもんじゃない」と言う事が含まれており、「自薦」と言う中にともに「考え中」を積み重ねてきた歴史が埋め込まれていると思う。

その重度訪問介護の対象者が拡大される。
当然、そこには「自立」と言うキーワードを常に描きながら展開されなければならないと思う。
制度を生み出していく過程では、どこから攻めていくか?ということも大事で、
24時間の「見守り介護」と言う発想だけ取り出せば、精神当事者たちはかえって辛い状況になってしまう。
その辺りは、今後「待機型」等も含め検討されなければならないと思うが、
とにかく、現時点で「自立生活」をしている「重度知的当事者」の「介助保障」の一つの枠組みとして、実効性あるものとして行きたいと願う。

しかし、
重度身体当事者たちが長い年月をかけ作り上げてきた「重度訪問介護」と言う枠組み。

意思決定や自らを表現する事に困難さを抱える重度知的当事者の場合、
その枠組の利用についても、支援者や介助者や事業者の手の中に入ってしまう。

重度身体当事者なら、自らに支給された支援の量を持って事業所を選ぶことはできるし、
選択する事業所がないからと自らが事業所を起こした人たちは数多くいる。
又、当事者自らが起こした事業所を頼りサービスを受ける人たちもいる。

しかし、
重度知的当事者の場合はどうだろうか?
長時間介護を前提とするこの枠組は、
本人にとって良いことでもあるが、事業所にとっても非常に良いこと。

月に400時間〜500時間の支給が当事者になされた時、
足りない時間数を事業所が負担したとしても、それ相当のお金が入ってくる。
当事者を囲い込み、地域から分断して事業所のみで支援する。
それを本人が望むか望まないか?ということも
囲い込まれてしまっては何も見えなくなる。

たこの木はこれまで、そういった事態にならないように複数事業所で支えることを求めてきた。
重度知的当事者の介助が担えるよう他の事業所との連携を常に求めてきた。

重度訪問介護をめぐってのアンケート調査によれば、
現時点でこの枠組の対象者は全国で100人に満たないらしい。
その数字は、長年重度知的当事者の「自立生活」を真剣に考え、支援を担い実現してきた数。

そこには、制度論も支援論もひっくるめて、目の前にいる人たちを支えよう・ともに生きようと願ってきた人たち。

しかし、
枠組みができてしまうと、それに乗っかり「自立生活支援」といってしまえば、事業所やヘルパーたちによって当事者の暮らしは何とでもできてしまう。
それが、重度知的当事者が置かれている状況であり、
もし、そこで何か間違いがあれば親御さんたちは制度が整ったとしても安心して子ども達を「自立生活」の場に送り出せないだろう。
又、行政はその制度運用に様々な足かせをつけてくるだろう。

そうならないためには、
対象者拡大にあたり、
「自立生活」を求め「介助保障」を求め積み重ねてきた、重度身体当事者の歴史を改めて学ぶ必要があると思う。
そして、
その担い手を見ず知らずの事業所やヘルパーに委ねるのではなく、長年当事者たちと同じ時や空間を共有してきた仲間たちによって担われるよう、「就学運動」と言う視点を埋め込みこの先を作っていく必要があるように思う。



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