「つらい考3に対して岩橋さんが何を書くだろうと思っていた」と横田さんが言うので書いてみます。
まずは、
「辛いという価値基準を持ってはいけないという危機感が岩橋さんにはずっとあったのでしょうか?」と言う横田さんの問いに対しては、
「つらい」を価値基準にしているか否かでいわば、まったくそこは基準としていないし、基準にはならないと思います。
横田さんは、
普通学級はつらいから養護学校にいく。
地域はつらいから施設にいく。
自立生活はつらいから入所施設で暮らす。
と言いますが、これらは当事者の親や当事者自身のつらさであって、
この間取り上げなければと思っているのは、介助を担う側の「つらい」と言う話だと思っています。
そして、私自身は「つらい」を上回るものが日々の中にあり、「つらさ」を持ち合わせていなかったようだけども、実はそうではなく「麻痺」しているだけと「つらい考2」で書いたつもりでいます。
当事者の「つらい」については、逆に日々様々な場面で感じています。
そして、その「つらさ」と言うものは本人が勝手に抱いているものではなく、
私たちの側が抱かせているものとして、見過ごせないものとして常に考えてきたつもりです。
横田さんの言葉を使えば、
「養護学校はつらいから普通学級へ」
「施設はつらいから地域へ」
「入所施設はつらいから自立生活へ」
という事に対し、自らが何をなすべきなのかを常に考えてきました。
又、様々な人とのつながりや助けがあって、私一人ではどうにもならない現実が何とかなってきたし、何とかなってきた事を振り返れば、「あきらめずに想い続けてきて良かった」と思うし、その事によってさらに先へと進めていけるのだろうと思います。
ただ、そんな想いや視点で長年取り組んできて、それなりに経験を持つ私が周囲に語る事によって、
周囲は「つらいと想い描いてはいけない」という想いを介助者や支援者たちに抱かせていたなら、
そこは改めなければならないですね。
それから、
何故「つらい」を考え始めたと言えば、
時代の問題ではなく、気づきの問題ですね。
「麻痺」と表現したように気づかぬままにここまでやってきた私にきづいたという事。
ただ、
「つらい」を語らなければならない時代と言うならば、
それは、制度が進み制度によってある面当事者たちの暮らしは過去とは比べられないぐらいに、とりあえずなんとかなっている。
又、制度の乗っかった支援が担えるようになり、経済的なつらさは過去と比べ物にならないぐらい良くなっていると思います。(不安定さに目を向けるとまだまだだし、上を見るときりはないですが)
一面においては、それなりになってきた支援の現場ですが、
それでも離職率の高い状況。
そこには、単に経済面とか仕事の中身よりも、
どのような支援を担うか?
何を持って担っているのか?
という、個人の資質が大きく影響していて、
何かをつかんだ人はそれなりに継続できても、
何かをつかめない人は去るしかない。
そして、私自身も何かをつかんだ口ですが、
何かをつかんだとしても、つらさがなくなっているわけではないという事をいかに捉え考えていくか?
そのためには、「介助・支援はつらいか?否か?」ではなく、
「つらいもの」として考えなければと思っています。
そして、
それは「時代」か否かはよく解りませんが、
これから経験していこうとする人たちが思い描く事に耳を傾ける事が、
私自身の今後の取り組みを考える事でもあると想っています。
時代と言う面で考えれば、
これまでは、様々な関係性の上に制度を利用してきました。
「自立生活支援を考える会」の中でも、
「制度と関係性」と言うテーマで話を交わした事もあります。
「つらさだけでなく、つらさが充実感に変わる」と言う想いを私自身も抱かないわけではありません。
しかし、
制度や支援の体制が出来上がったあとに担い手となる人たちが増えてきたいる現実。
その点についてはまさに「時代」であり、
その人たちが描くものといかに付き合うか?
「岩橋亡き後」と横田さんが書いていたように、
様々なものが生み出されたとしても、それを継続していくために課題となる事をあれこれ考えます。
又、先日顕になった千葉の施設での虐待事件。
入所施設だから起こったと言う捉え方ではなく、
私は「介助者・支援者」たちにある「つらさ」を当事者に転嫁した結果として見ています。
そして、そのような状況は自立生活の場においても、
密室状態で担われるヘルパーと当事者との関係の中で同様の事が起こる可能性はあり、同様に起こってしまうものとして「つらさ」の存在を認め、それを「当事者に転嫁しない」事として考えなければならないのだろうと想っています。
では、
その「つらさ」とは何か?
横田さんと西山さんと私とであれこれ話す中で想い描く事は、
何かが違うような気がしています。
なので、ここは西山さんにも参戦いただいて一緒に考えたいところではありますが、
とりあえず、今回はここまでという事で。