2014年02月06日

つらい考6

「そんなにつらいんだったら、わざわざ自立生活なんてしなくてもいいじゃない」と介助中に痛切に思ってしまうことが私にはあります。ごくたまにですが・・・・・・・以前はもっとあったかな・・・・・・・・。自立生活支援の介助者にとってそう思ってしまうこと以上につらいことってないのではないでしょうか?
これって「そんなにつらいんだったら生きてなくてもいいんじゃない」と思ってしまうのと同じだったり、大差ないことかもしれませんね。
でもたまに当事者が暴れまわってどうしょうもないときに痛切にそう思ってしまうときがいまだに私にはあります。また知的当事者ばかりでなく身体介護をしていた時も痛みで何年ものたうちまわっている自立生活者の介助をしているときに「そんなに苦しんでまで生きることないんじゃない」と思ったこともあります。そんなつらい介助が終わり、その自立生活者の家をでて外の空気に触れると「心の平安」というものがどれだけありがたいものか骨身にしみるような気もします。
介助者も利用者もコントロールできない利用者の痛みや苦しみ。
 
 やはり、私には当事者が本当に辛そうにみえて仕方がありません。そして当事者がつらそうにみえて仕方がない私は辛いのです。


 で、やはり私にはこの「つらさ」抜きに介助やたこの木の仕事について考えることはできないのです。何よりもこの「つらさ」に興味があり、この「つらさ」がなければたぶん介助やたこの木の仕事やめているとおもいます。

 そもそも私はこの「つらさ」について考えてみたくて介護の仕事をやりました。なんだか自分でも不純な気持ちがしましたが、哲学者中村雄二郎の「パトスの知」や「臨床の知」の考え方が、躊躇する私を後押しし続けました。
 たこの木通信の私の文章にはかなりの中村雄二郎の本からの盗作があります。
 よくは知らないのですが「べてるの家」もそれに近いものがあるのだと思います。
みすず書房からでているべてるのことを書いた「治りませんように」という本があります。
この本の帯には、苦労の哲学 ただ治そうとする生き方をやめ、病気のなかで、それとともに生きることを受け入れるとき、病気は重い荷物から宝へと姿を変える。べてるからのメッセージ。とあります。

「つらい考4」の岩橋さんの文や、まあまあ左脳タイプさんのコメントに返事を書くつもりでかいたのですが、今回はこのへんで。

 実は先週もつらい考の文章をかいたのですが時間のある人は読んでください。

「つらい」とか「苦しい」とか「悲しい」とかそういうものになぜ興味がでるのか、昔は自分でもすごく不思議でした。そういうものに魅かれる自分てなんなのかわからずよく苦しみました。
 例えばオフコースの「さよなら」という歌があります。とっても悲しい曲です。

♪ もう、おわりだね〜-・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・サヨナラー サヨナラー サヨナラー   ♪♪
この曲が流行ったのが1980年、私が小学校6年生の時であります。
 
どうして僕はこの曲をきいているのだろう
どうして僕はこの曲を歌っているのだろう
どうして小田和正はこんな曲をつくったのだろう
どうして小田和正はこんな曲をうたうのだろう
どうしてこんな曲が流行っているのだろう
小田和正も僕もみんなもいったい何がしたいのだろう

小学生ながらに悩んだものでした。
この悩みは20歳を超えても私の場合かなりで引きずっていました。
おりしも私の20代前後というのはバブル期。とってつけたような異常な明るさ。プラス思考なんていう言葉が流行り、暗い、汚い、苦しいというような負のイメージはまるで忌み嫌われとことん排除するか、覆い隠すことがよしとされる風潮が世間では漂いまくっていました。
しかも私は何をまちがったのか文学部日本近代文学科に所属してしまっていたので、いやでも悲しいとか苦しいという感情が一冊の本の中で響き合い美しい音楽のように調和しているのを目の当たりにもするわけです。

 大学を卒業して仕事をしても「つらい」とか「悲しい」とかいう感情はもう排除の対象でした。
「悲しい」とか「つらい」というのは人間にとって取り除けばいいだけのものなのだろうか?だとしたらオフコースの「さよなら」をきいた時の私の気持ちはなんだったのだろう?
「つらい」とか「悲しい」とかいう感情をただ取り除けばいいという捉え方ではどうしても腑に落ちないのはなぜか?
 
 ここまで書いておもいもよらぬことがおもい浮かんだ。

例えばキリスト教の世界でいわれる、天国にいけば悲しみも苦痛もない。だからこの世における悲しみや苦しみは試練として乗り越えなければならない、という捉え方。

つまり悲しみや苦しみは試練だという捉えかた。それもわかるきがするのだが、例えば癌とたたかう生き方がある一方で癌を受け入れるという生き方がある。癌を克服するのではなく癌と共存するという考え方。生き方。 どちらが正しいという問題ではなく。

ただたこの木においてはやはり例えば癌でいうなら癌を克服するというより癌と共存するという考え方、生き方。

知的障害を克服しようという考えかたではなく、知的障害と共存していこうという考え方。
つらいを取り除こうという考え方ではなく、つらいと共存していこうという考え方。

で、この取り除こうというのは近代科学の知
障害と共存しその共存の中で活かしていこうというのがパトスの知
で、パトスの知というのが中村雄二郎という哲学者がいった。

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2014年01月09日

つらい考5

つらい考5

 私はまだ〈つらい考4〉を読んでいません。岩橋さんが〈つらい考4〉を書いたのを昨日の夜、岩橋さんから聞いて知りました。すいません。で、とりあえず〈つらい考4〉を読まないでつらい考5を書いてみたくなりました。〈つらい考5〉を書いてから〈つらい考4〉を読みたいなと。でも書いている途中で読みたくなったら読みますね。

〈つらい考〉もあきてきました。飽きてしまっているのに続けて書くというのもこれまた〈つらい〉ことです。〈つらい〉というのはモグラ叩きのようにいろんなとこから顔をだしてきますね。しかしそれでも、飽きてしまったことを飽きもせずに書き続けているといろんなところから面白さがでてきます。面白さもモグラですね。

最近(細菌)よく思うのですが、飽きてしまったことを飽きもせずにやりつづけていると〈発酵(はっこう)〉という現象がおこるみたいでおもしろいです。ヨーグルトに牛乳をたすだけで勝手にヨーグルトになったり、ぬかをかき混ぜるだけでつけもんができるみたいな。言葉も発酵します。おんなじことを飽きもせずに言い続けたり、考え続けると発酵するのだとおもいます。落語をきいているとつくづくそう思います

言葉だけでなく、すいいち企画なんかも発酵しているとおもいます。なにもしなくても勝手に発酵してくれてるみたいな。

しかし、発酵しておいしいといいのですが、ただ腐っているだけで煮ても焼いても食えないということだってあります。今、私が書いている文章がそうかもしれません。つまらないことを書いてどーもすいません。

 最近、〈真面目(まじめ)と向き合う〉〈真面目に向き合う〉ということに考えを巡らせていました。

「あなたは真面目ですね」といわれて嬉しく思う人なんて今どきあまりいないのではないでしょうか。私も「真面目ですね」なんて言われたらあまりいい気はしないと思う。もっとも私に「真面目ですね」っていう人はいないかもしれないけど。
「福祉」とか「介護」とか「支援」とかいう言葉もかなり真面目な響きがする。
だからよく「福祉ていう言葉好きじゃない」とか介護者なのに「介護者という言葉はほんとは好きじゃないんですけど・・・」ということを時々耳にする。
 たこの木通信2013年12月号の西山さんからの文章から引用させていただきます。
《もう一つは介助関係の話を他人にしづらいということに限定しての話になりますが、介助の悩みはかなり自分の人格に関わってくるところのような気がして人には言いにくい.》

で、それでも人に話そうとするとどうしても、自分でも手におえないような〈真面目さ〉にむきあわざるをえないみたいな感じになってくる。と私(横田)は思う。たこの木通信を書いててもいつも思うのだが、書き進んでいくうちに「なんでこんなにも真面目なことを書いてしまうのか」という気持ちにどうしてもなってくる。
で、真面目って確かにどこか胡散臭い。と思う。たこの木で活動する前はそんなことはあまり思っていなかった。むしろ私みたいな不真面目な人間は常日ごろ真面目を心がけるくらいでちょうどいい位におもっていた。
 しかしたこの木で活動していると真面目って権力者に従順になること以外のなにものでもないみたいに思えるときがある。
お国のために戦争にいって人を殺してきます、という人が真面目で、戦争なんかイヤですという人が不真面目とされる時代があった。
また、今の世界ではたとえば、権力者に対して従順であろうとしているのにできない人に向かって権力者がさらに鞭をふるようなことが日常茶飯事であるため、真面目なんていう言葉はますます胡散臭い。
たぶん真面目という言葉は国家権力者たちが国民を都合のいいようにてなずけるために利用するための言葉なのだろう。
書いているうちにおもいもよらぬ方向にいってしまいました。すいません。このへんでやめてこれから〈つらい考4〉を読もうと思います。

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2013年12月12日

つらい考 3

 岩橋さんが書いた「つらい考その2」を読んだら、6,7年前、私がたこの木クラブに入りたての頃のことを思い出しました。

とりあえず岩橋さんの「つらい考その2」から引用します。
『横田さんは、「つらさを取り除く」とか「つらさと付き合う」ことに向き合っているのだが、
私は「長時間介助」についてつらさを描いたことがない。
日々の暮らしの中で、介助が立て続けにあれば「疲れるわぁ〜」と言う事はあるし、それが「つらい」に置き換えられる面もある。でも「疲れるわぁ〜」の一言で済ませられる程度。』

確かに岩橋さんはそんな感じで、それに対して最初の頃私はものすごく戸惑いを感じてたように思います。今から思うとその戸惑い自体も私には辛くて仕方がありませんでした。私にとって介助はやはり辛かったし、当事者も辛そうに見えて仕方がなかった。それなのに岩橋さんは辛いどころかどこか楽しそう。

 だから岩橋さんの文章にある「つらさは麻痺していたのかもしれない」というのはたぶん間違いではないとおもいます。私も岩橋さんのこの文章を読むまで、岩橋さんはつらさが麻痺してるなんて考えたことはありませんでした。

どうなんでしょう? 「辛いという価値基準を持ってはいけない」という危機感が岩橋さんにはずっとあったのでしょうか?

確かに「つらい」か「つらくない」かを基準に決めるとたこの木にとってはかなり不都合なことがあると思います。

普通学級はつらいから養護学校にいく。
地域はつらいから施設にいく。
自立生活はつらいから入所施設で暮らす。

「当事者のためを思うと・・・」「当事者がつらそうなので・・・」この様な意見にたいして「つらい」か「つらくない」という価値基準をたこの木がもつと致命的ですらあると私でさえそう思います。

ではなぜここにきて「つらい」ということが岩橋さんにさえ注目されることになったのでしょう。

 実は今回「つらい考3」を書くにあたって今の今、全くといっていいほど自分が予期せぬ展開になってきています。こんなこと書くことはおもってもいませんでした。でも先は長いと思いますので的がはずれてしまっているかもしれまんがこのまま続けて書いてみたいとおもいます。

なぜここにきて「つらい」ということが岩橋さんにさえ注目されることになったのか?

  戦後日本は高度経済成長期、バブルを経て現在に至るまで、風潮として世の中全体が「快適主義」よって貫かれてきたとおもいます。「つらい」をはじめ「汚い」など不快なことはまるで悪のように取り除かれようとされてきました。
水洗便所、エアコン、コンビニ、パソコン、原発・・・・・・・

それらはまさに私たちを快適にさせてきたかのように見えたのですが福島原発事故が象徴するようにこれまでの快適主義の成果による不都合な反作用ともいうべきものがあらわになってきました。

 画一的な快適主義にかいならされてきた私たちは快適主義に疑いをもつものの、画一的な快適主義の世界から外れた不快さには全くもって無力、思考停止。

 画一的な快適主義の世界から排除されようとされる当事者を排除されないために運動してきた中で、排除しようとする人たちに対して快適か不快か?つらいかつらくないか?という価値基準を持ち込むこむことは危険で、かりにその価値基準を持ち込むときも極めて慎重になったのではないでしょうか?

 11月23日に岩本通信でおなじみの岩本さんが小学生の時の普通学級の担任と共に講演会がありました。そこでの内容は
 養護学校はいやだから普通学級へいく。
 施設なんて問題外といった感じの内容でした。
日ごろ付き合いのある岩本さんの話なのでとても面白かったです。

当事者、支援者の「つらい」「つらくない」なんていってられない時代から、当事者、介助者の「つらい」「つらくない」の話が大っぴらにできる時代になったのかもしれません。それは私にとってはとても有難いことです。

つらい、つらくない以外の強固な価値基準をもった人たちが今の若い介助者たちのつらさに耳を傾けることは今後さらに有意義になってくるのではないかとおもいます。

posted by takonoki at 18:22| Comment(0) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月05日

「つらい」考

 「つらい」考

12月3日の自立生活支援を考える会が始まる前、私は「長時間の介護をするとは?」というより「介護のつらさについて」というようなことでほとんど頭がいっぱいだった。で、その会が終わって、私自身が「つらい」とか「苦しい」という感情、あるいは「痛い」という感覚にものすごく日ごろ関心をよせていることを改めて自覚した。

 なぜ、どのように、私はつらさや苦しみにについて興味があるのかを思いめぐらしているうちに今回の自立生活支援を考える会で、私に対してある方からの質問を思い出した。

「横田さんは以前と比べてたこの木クラブや介護がつらくなくなったといっているがそれは何が変わったのか?」

確かそんな感じの質問だったと思う。その時は自分でもわからなかった。てゆーか今わかった。

答え・・・・たぶん以前は「つらさ」や「苦しみ」に対してどうすればそのつらさや苦しみを取り除くことができるかという考え方をしていたのだと思う。しかし今はどうやって取り除こうかというより、そのつらさや苦しみとどうやって付き合っていこうかと考えるようになってきているのだと思う。

私は私自身のつらさや苦しみに興味がある。
私は私以外の支援者や当事者のつらさや苦しみに興味がある。

自分自身のつらさ(不都合)を棚において、当事者のつらさ(不都合)を取り除こう。これは現在の病院のスタイルである。あるいは入所施設もそういうスタイルではないだろうか。近代科学のスタイルといってもいい。

 近代科学は人のつらさや苦しみなどの不快な感情にたいしても客観的な立場に立ち、もっぱら取り除く(解消する)ことに知をそそいできた。実際にそれは目覚ましい成果を生んできたわけだが、成果と共に、その限界や成果に伴う不都合な副作用があらわになった。

自立生活支援の現場においては病院や入所施設のような近代科学的な知のスタイルでは成り立たない、回っていかないことが多すぎる。

ヘルパー資格を得た多くの新人ヘルパーが自立生活支援の現場で近代科学的な知のスタイルの限界、矛盾に直面したはずだ。

当事者の不都合にたいしての無力さ、棚に置くことのできないヘルパー自身のつらさや苦しみ。何をどうふるまえばいいのかさえわからなくなってくる知的障害的不安。

 知的障害当事者の自立生活支援をやっていると、それぞれの支援者自身の持つ知的障害性がすごくあらわになりやすい。
 その支援者の持つ個人的な苦悩や問題もあらわになりやすい。それ自体、近代科学的知の流れをくんだ現代人にとってはかなり「つらい」ことではないだろうか。そのつらさを安易に退けるよりは、そのつらさと上手く付き合っていくことを考えたほうがこれからの時代、面白いのではないかと私はおもっている。

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2013年09月13日

たこの木クラブは国際的でわかりあえない場所。しかも金にならない。

コミュニケーションは「わかりあえる」ということを前提にするものなのか、それとも「わかりあえない」ということを前提にするものなのか?

「わかりあえる」と答えたあなたは典型的な日本人であるとともに国際的にみて少数派のコミュニケーションの取り方をする人です。

柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺

こんなコミュニケーションの取り方をするのは日本人以外そう他の国の人はあまりやらないでしょう。やるとしたら島国や閉鎖的な村社会でしょう。

「わかりあえる」ということを前提としないでなんのためにコミュニケーションをするのか?というような問い自体もまさに日本人的です。

大陸などに住んでいる多数派の人たちは「わかりあえない」異文化、多言語の世界の中で自分は何者であるかをとにかく表現しないことには生きていけないのです。

「わかりあえない」のが当たり前、それで自分はなにを他者に表現するのかというのが国際的には主流のコミュニケーションの取り方です。
平田オリザさんが書いた「わかりあえないことから」という本にはそのようなことが書かれています。オリザさんがこの私の文章を読めばたぶん「私の本のことをよくわかっている人だ」だと思ってくれるでしょう。
私もオリザさんも日本人です。オリザさんも書いていますがなにも無理して多数派になる必要はありません。

しかし、柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 なんていうコミュニケーションが日本人の間でもわかりあえなくなってきているのも事実です。
秋でもパパイヤ、冷凍みかん、ブルーベリー、二文字でおさめたいなら梅、スーパーにいけばなんでも食えます。鐘の音なんか鳴りません。

昔の日本はそうではありませんでした。秋になると日本のそこらじゅうに柿がナリ、みんな柿をたべました。一仕事終えた夕暮れ時、柿をくっていると寺の鐘がナリました。
柿を売れば金になると勘違いする人もそのころはあまりいませんでした。
いまでは信じられないほど「わかりあっている」なかでコミュニケーションがなりたっていました。

では、「わかりあえる」ことを前提にコミュニケーションするのと、「わかりあえない」ことを前提にコミュニケションするのとどっちが面白いか?

そんなの「わかりあえる」のほうにきまってんじゃん、と答えたあなたはティピカルジャパニーズ。「わかりあえない」ことを前提にコミュニケーションすることに慣れていない日本人はそのコミュニケーションの面白さもわかりにくいはずです。

「わかりあえない」ことを前提にコミュニケーションがおこなわれるすいいち企画は私にとってかなり苦痛をともなう場です。そーいえば当事者の会もそうです。ところが当事者と呼ばれている人たちをみていると以外に楽しそうにしています。かれらのコミュニケーションは国際的には主流派、超マイナーなすいいちも国際的には主流派の可能性大です。

平田オリザ著「わかりあえないことから」の最後のほうのP208から引用します。
【「心からわかりあえなければコミュニケーションではない」という言葉は、耳に心地よいけれど、そこには、心からわかりあう可能性のない人びとをあらかじめ排除するシマ国・ムラ社会の論理がはたらいてはいないだろうか。】

これはかなり鋭い指摘です。だから、すいいち企画で当事者とよばれている人たちのもっている日頃の疎外感というのははかりしれません。
「わかりあえる」日本人社会のなかで排除されるということはどれだけこわいことか?だから日本人の多くは自分だけは排除されないように生きようと必死になるのかもしれません。
自分だけは排除されないようにと必死に生きるよりも、排除されても「わかりあえない」のを前提にコミュニケーションする面白さを身につけていくことのほうがこれからの日本を生きるのには生きやすく面白いかもしれません。



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2013年09月03日

「岩橋さん亡きあと・・・・・」でいこうかな

「岩橋さん亡きあと・・・・・」でいこうかな?

うつ病になったかな?と思うときが年に一度はある。体がだるくて何もやる気がしない。気がめいることばかり考えてしまう。そんな状態が何日も続く。そんな時これがウツというやつかなと思う。こんな状態が続いているとき毎回思いつくのがウツ日記をつけること。
すこしワクワクする。そしてウツ日記を書くためのノートを買う。これまでにもう5回は買ったと思う。だいたい一日か二日でプチウツ病はなくなりノートの存在も忘れてしまう。

うつ病というのは瞑想や深層心理学の世界では「魂の暗夜」といってその魂の暗夜にできるだけとどまっていればブレイクスルーがおこって新たな世界がひらけるそうだ。しかしブレイクスルーする前に身が持たないこともよくあることは間違いない。

私がウツになったときウツ日記を書こうというイチビリ心は恐らく自己防衛本能なのだろう。

最近、たこの木通信の連載タイトル「リミックス」をやめて「岩橋さん亡きあと・・・・」というようなタイトルで書いていこうかなと考えている。

「岩橋さん亡きあと・・・・・・」だと書きたいことがもうフツフツとわいてくるけどそれを書き続けるとなるとかなりきつい作業になるとおもう。面白いことうけあいだが、魂の暗夜にとどまらなければ書けなくなると思う。

「岩橋さん亡きあとを考える」「岩橋さん亡きあとたこの木企画」「岩橋さん亡きあとに続くのは」などいろいろタイトルを検討中だ。

じつは「岩橋さん亡きあと・・・・」というタイトルを思いついたのはその前に「たこの木クラブ辞めるかどうか考え中」というタイトルでがんばろうと思ってるときに思い浮かんだタイトルなのだ。

うん、確かにどう考えても面白いけど、キツイよこれは。でもたこの木クラブだとこれ位の事考えないと面白くないとも思う。面白くないというのもこれはキツイ。

posted by takonoki at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月23日

こんなことをわざわざ書いてみようとおもう

ちわ、よこたです。

ここ二週間ばかりたこの木のブログを読んでいない。
これからもしばらく読まないつもりだ。
読む気がしない。読みたくない。
読むのがこわい。
読むとつかれる。
読むと書く気がなくなる。
これはウソではない。
ウソではないのだが、それでもこのようなことをワザワザたこの木のブログに私が書くのはいくらなんでもマズイんじゃないかと思っていた。許されないことだと思っていた。
常識としてありえない。
そもそもこのようなことを書こうなんてこともいままで思いもしなかった。(あれ?ひょっとしたらたこの木通信とかでそんなことしょっちゅう書いてるかも?)

でも今回はこんなことをワザワザかいてみようと思った。

A「死にたい」      B「死のうとおもう」
A「たこの木をやめたい」 B「たこの木をやめようとおもう」
A「離婚したい」     B「離婚しようとおもう」
こうして考えてみると「〜したい」というのと「〜したいとおもう」という両者とではかなり次元が違う。

 最近気づいたことだが、私の場合「離婚しようとおもう」とおもったことは記憶にあるが、「死のうとおもう」や「たこの木を辞めようとおもう」とおもったことは記憶にない。
「死にたい」「たこの木をやめたい」なんてことはしょっちゅう口にしてるけど。

今回はとっても過激なことを書くつもりだったが実際かいてみると結構ありきたりな日常生活っぽいことを書いている気もする。

それにしても毎週たこの木のブログを書くというのはきついなー。どうしょう?
しかしこの身が持たないってあたりは「持続可能」にとって必要な気もする。

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2013年08月09日

対等性

「当事者の会」の支援者としての私はつくづくダメだと思う。ほんとうにどうしょうもないと思っている。ぶちゃけ私だけでなく他の支援者も全然ダメだと思ってる。

心の底ではこれまでずーとそう思って支援をしていたわけだからいいわけがない。そして今後もそう思いながら支援をやる可能性大なのでつらい限りだ。

だから西山さんのブログなんか読むと私は完全にバカにされていると思ってしまう。もっともだと思う。情けないことに、よくぞバカにしてくれたとホッとした気持ちにさえなってしまう。私が自意識過剰なだけで西山さんは全然そんなこと思ってないのかもしれない。

しかし少なくとも当事者の会での支援がどうしょうもなくダメだなと自分で思っているのは確かなようだ。
 
当事者の会での支援の在り様は岩橋さんや西山さんとこれまでさんざん話あったが、もうなんか私は聞く耳がもてなくなってしまっている。ぶちゃけ当事者の会より当事者の会についてたこの木のスタッフと話あうのがもっとイヤだ。

どうしよう?

 今、思いついたことだが「ダメ支援者でどーもすみません」的なスタンスで当事者の会にのぞむのがいいかもしれない。
 支援の魅力がどうしてもいまひとつみいだせない。強い確固とした魅力や面白さをもっていれば辛かったり、苦しかったりしてもかなりやれるとおもうが、やはりその確固とした魅力を見出せないでいる。

真面目に誠実にやればどんどん魅力がでて面白くなる。そんなそういう分野ってあるとおもうけど、知的障がいの世界では遊び心やユーモアというものがなければ魅力は出てこないと思う。そしてユーモアというのは常に対等性というものが求められる。

魅力あるものにしていくために、当事者と支援者との間にどれだけの対等性をつくりあげていくか。

対等性というのはかなりキーポイントかもしれない。

来週はたこの木通信なのでそれまでにこの対等性について考えてみたい。

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2013年08月02日

今日、キョンキョンに会ってきました

今日、紀伊國屋サザンシアターで「頭痛肩こり樋口一葉」という演劇をみてきた。脚本は井上ひさし。2013年7月11日〜8月11日まで公演中。

入場料金がなんと8400円もした。

悲しい場面であればあるほど観客が笑うという、おそらく脚本家井上ひさし自身の企みが見事に成功していたと思う。これはマジしゃれにならんというような悲しい場面が何度もでてきてそのたびに客が笑っている。それが許される。これは極上の演劇ならではの世界なのかもしれない。

私がいままでにみた演劇のなかで一番よかったとおもう。もし15年前にこれをみていたら私は演劇を続けていたかもしてない。(サザンシアターの隣りに東急ハンズがあって開演前にのぞいたら本格的な大道芸人グッズがあって衝動買いにかられるのを抑えるのに苦労するほど熱しやすくさめやすい私なのでいいすぎかもしれないけど)

主人公樋口一葉の役は小泉今日子だった。

小泉今日子にはじめて出会ったのはあれはたしか中学生のとき友人の部屋だったと思う。中学生にとっては高価といえる小泉今日子の写真集をみた時はまさかこの人がキョンキョンとよばれ後にこれほどまでにビックスターになろうなどとは知る由もなかった。

前から5列目のどばん中の席からみていると、キョンキョンもオレも歳をとったなーと感無量だった。

開演13時半から15分の休憩をはさんで16時半までの長い芝居。開演の幕が上がると最初キョンキョンは子役としてでてくる。そしてその後すぐに19歳としてでてくる。それから夭折する24歳までの毎年、その後幽霊となってから二年。場面は常に7月16日のお盆の夕方という舞台設定。

登場人物は6人全て女性。実力ある舞台女優にかこまれてキョンキョンはかなりハードな役をこなす。写真集でみたあのキャピキャピさはもちろんなく、極貧、病弱の役柄からユーモア―を醸し出す。キョンキョンはじめ6人の女優たちと共にした3時間は濃密で最高のひと時だった。

はい、そこでそろそろ、この、「頭痛 肩こり 樋口一葉」という芝居と「たこの木クラブ」となんの関係があるのかという問題にとりくみたいところだが、このあたりの問題は私にとって個人的な大テーマである気もしてまあ追々じっくりと今後考えていけたらなと思う。

それにしてもこの芝居ほど泣きながら笑った芝居はなかった。芝居にかぎらず人生においてもこんなに泣きながら笑ったことはなかったかもしれない。

悲劇と喜劇の接点。そして生と死の接点あたりをうろうろするようなホントにそんな芝居だった。

オレもキョンキョンも人生の折り返し地点をすぎている。そう思わされた芝居でもあった。

この芝居のラストシーンは一葉のふたつ年下の妹がひとりこの世に残される。このラストシーンについてこれ以上書くのは控えさしてもらう。10時にサザンシアターにいけば当日券が手に入ると思うので是非西山さんや若い人にも見てもらいたいと思う。8400円以上の価値はあると思う。




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2013年07月25日

「わかってくれる人だけにわかってもらえればいい」ノートB

重量挙げ(じゅうりょうあげ)・・・バーベルを両手で頭上に持ち上げ、その重さを競うスポーツ。ウエイトリフティング(Weightlifting)とも呼ぶ。

今日は何キロ持ち上げることができるだろう。

プロ野球選手のようにそれが職業として重量挙げは成り立ってはないので、いろんな職業の人もしくは学生が重量挙げというスポーツを楽しんでおられるのだろう。

限界ギリギリの重さのバーベルを持ち上げるときは全身全霊の集中力が必要とされるに違いない。普段の生活をひきずってなんかはいられないはずだ。

全身全霊の集中力で限界ギリギリの重さのバーベルを持ち上げている間はおそらく無の状態なのだろう。その無の状態というのは禅宗なんかでいう充実感に満ちた至福の瞬間であるに違いない。

今日も重いことを書こうと思って臨んだのだが我ながらとっても軽いように感じるのはなぜだろう。

「まったり」という言葉をたこの木で活動するようになってからよく耳にするようになった。「まったり」と聞いてなるほどなーと思うこともよくあるが、やはりそれ以上に鼻につく。

ヘルパー、支援者が「まったり」という言葉にだまされ、だましてる気がしてならない時がよくある。
無の状態に至るような集中力をだすきっかけを人は誰もが欲している。それはもはや私には明らかに思える。そんなことは支援やヘルパーの仕事ではないとたいていの人はいうが、私は「まったり」同様「無の状態」にいたるような集中力をだすきっかけづくりの支援というのはホントは必要だとずっと思ってきた。個人的には自立生活以上に必要だと思っている。しかしながらそれに関しては全く相手にされなかった感じがする。

たこの木通信で「自立生活すればいいってもんじゃない」を連載したり「あとすぺ」をやったりしたのもそういう想いがあったのだと今になって思う。

充実感をもって活動している支援者やヘルパーたちは当事者に対して当事者にとっての充実感を持ってほしいと思わないのだろうか?充実感をもって活動している支援者は露骨にまるでそんなことはどーでもいいという風にみえてしかたがない。

それって左翼や共産主義のリーダーにありがちだよね。原発推進派の奴らってみんな充実感にあふれたるんだよ、きっと。死に至る充実感。原発推進派のリーダーなんて自分が死ぬ時は地球が滅亡する時だと思ってるんじゃないかな。結構魅力あると思うよ。どうするよ。

最近よく演劇やってたころのことをよく思い出す。演劇というのはホント金にならない。ブロードウェイでさえトントンで大成功らしい。演劇やってたころこんなに金にならなくてしんどい思いしてどうしてこんなに一生懸命にやるのだろうと自分でも不思議でならなかった。

極限の集中力の響き合い。それはそれは面白かった。そんなことを実は私はたこの木で目指したこともあった。もはや今となっては夢のまた夢だが、だれもが無に至るような集中力を持つきっかけを欲しているという確信は強くなるばかりだ。もちろんそれは農作業でもなんだっていいんだけども。

収集がつかなくなったので一休さんの話でもします。

 ある日、村人の一人が禅師の一休に尋ねた。「師よ、どうか私のために究極の最高の知恵を書いてください。」
 一休は即座に筆を取ると、「注意」と書いた。「それだけなのですか?」男はたずねた。「他に付け加えることはないのでしょうか?」
 すると一休はさっと二度目を書いた。「注意。注意。」と。「さて」男はいくぶんいらだちながらいった。「私には、いま師がお書きになったことに深さや微妙な意味があるとは思えません」
 すると一休は三度目も同じ言葉をさっと書いた。「注意。注意。注意」と。男は半分怒って迫った。
 「だからその『注意』という言葉は何を意味しているのですか?」
 すると一休はやさしく答えた。「注意とは、注意じゃよ」。


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2013年07月18日

ちょっと一息ブレイクスルーじゃなくてブレイクタイム

横田です。
きょうはたこの木通信の発行日でした。
すいません、疲れて頭がまわりません。
毎週「わかってくれる人だけにわかってもらえればいいノート」を更新することはむずかしいです。来週はなんとか更新しようとおもいます。

いいわるいは別として毎月たこの木通信を書いているときブレイクスルーが来ます。
このブレイクスルーは快感ですがあとかなり疲れます。
いい経験を毎月させてもらってることは感謝しています。

今回は当事者の会でのできごとと、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」と沖縄「集団自決」裁判をからめて自己決定とはなにかについて書くつもりでしたが。沖縄「集団自決」裁判についてはなにも触れることはできませんでした。

あまりに無謀な試みでしたが、無謀なので他のことを書こうとしても今までの経験から書けないのをしっていますから、とにかく書けなくても書くという感じでいつも通信を書かせてもらっています。

今日はビールでものんでねます。すいません。
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2013年07月11日

「わかってくれる人だけにわかってもらえればいい」ノートA

「ずーとこのグループホームに住もうと思っている」という意味のことを当事者の会で彼ははなした。一言一句正確には覚えていないが「ずーと」という言葉ははっきり覚えている。あの時、彼のこの「ずーと」という言葉がとても重く心に響いたのは私だけではなかったと思う。少なくとも彼自身「ずーと」という言葉にいろんな思いを込めたと思う。自己選択?自己決定?そんなことをあの「ずーと」という言葉から私が連想したのは会が終わって何日かたった後だったけど、彼自身あの「ずーと」には自己選択、自己決定を経たうえで言っている重さ、力強さというようなものが醸し出されていた。それが本当に自己決定、自己選択なのかは別として・・・・・・・・。
 

 あの時の当事者の会の話題はグループホームに住みたいかとか自立生活についてとかどういうとこに住みたいかといったような話題とは無縁といっていいほど別の雰囲気に支配されていたので、彼が今のグループホームで暮らすようになった経緯を語りだしたのは唐突といえば唐突だったといえる。当事者の会での話題は常に唐突だといわれればそれはそうだというしかないのだが・・・・・・・・。
 

 私見といってしまえばそれまでだが、あの日の当事者の会は予想以上に当事者の積極的な提案や意見がでていた。参加者を増やすためにチラシを作って公民館においてもらおうという支援者からのアドバイスがあったわけでもなさそうな提案に当事者間での議論が成立していた。


 私を含む支援者たちはいつものように全くといっていいほど口をはさまなかったが、それは当事者の人たちから「監視されているみたいでいやなので支援者も意見を言ってほしい」と批判されることのうしろめたさ以上に私が少しでも口をはさめば今のこの当事者の人たちの自由な雰囲気をこわしかねないという気持ちがあったのでそれに関しては気が楽だった。やはり当事者の人たちの意見や振る舞いはいつもより少し違っていて、支援者の目なんてまるで気になっていない空気が時おりながれた。当事者の会らしからぬ気負いのない「俺は障がい者だから・・・・」とういうような発言に、知的障害は当事者によるものではなく関係性の問題とか、障害ではなく個性だなんて考えは少なくともその場ではまさに他人事の意見以外なにものでもなくもちろんそんなことをいう人は誰もいなかった。

 「俺は障がい者だから・・・・・」

さりげなくそして支援者をはばかることなく自由な発言だからこそリアルさを目の当たりにしてしまったのだろう。

 その直後だったと思う。いやその直前だったかもしれない。
「ずーと」の人が数人の当事者の人に非難の目をむけられたのは。非難の理由は彼がとある集まりで机の後片付けをしなかったとのこと。確かに彼は他の人たちにくらべ遠方にすんでいるので当事者の会でも早めに帰ることが多い。非難した人は軽い気持ちで新しい話題をふるくらいのつもりだったのかもしれないが、即座にその話題に乗り皮肉のこもった笑みをうかべた狡猾な数人の目が「ずーと」の彼に向けられた。
 
 当事者の会でしか私は会うことのない彼なのだがここ何か月か以前にくらべ元気がないことも気になっていた。そして何か月かいつも彼は非難をともないながらからかわれる役回りに陥ってしまうことも気になっていた。もはや私は監視されているみたいでいやな支援者になることしか思いつかなかった。そうしないと致命的になりかねない。実際これまでの当事者の会でこのような状況になって取り返しがつかなくなったことは何度もあった。できるかぎりイヤな雰囲気にならないよう振る舞って非難している人たちを非難した。そしてなんとか後片付けの話題を回避した。
 
 彼が今のグループホームに住むようになった経緯を語りだしたのはそれからだった。以前当事者の会で元気だったころの彼からいろんな話をきかせてもらっていた。だから「ずーとこのグループホームに住もうと思っている」の「ずーと」にはいろんな気持ちが詰まっているようにきこえた。嬉しくもあり、悲しくもあり、楽でもあり、苦しくもある「ずっと」だった。
 
 「ずーとこのグループホームに住もうと思っている」という彼の言葉にたいして誰もなにもいえなかった。おそらくだれもその言葉に対して全面的に肯定なんかしてないはずなのに。そしておそらくそこで何をいったとしても「俺は障がい者だから・・・・」に対してと同様無責任な他人事の言葉にしかならなかったと思う。
 
 重い言葉だったと思う。それでも当事者でない私はすぐに忘れてしまうのだが忘れないほうがいいと最近よく思う。
 
 日々の生活のなかで現実におこっている様々なできごとと、その時期 に読んでいる文学作品とを結び付けたり重ねたりして考えることは自然ななりゆきだと思う。
 
 あの当事者の会があったころ私はカズオ・イシグロ(日系イギリス人)が書いた小説「わたしを離さないで(原題はNever let Me Go)」を読んでいた。臓器移植をするためのクローン人間がクローン人間用の施設で育ち大人になって施設を離れ、臓器を提供するクローン人間の介護人となり、そしてその介護人もやがては臓器提供者となり短い生涯を終えるという物語。
 
 魂とはなにか?自己決定とはなにか?権力とはなにか?
 
 原文を超えると定評の高い翻訳者土屋政雄の翻訳タイトル「わたしを離さないで」の私とはだれのことなのだろう、離さないでとはどこから離さないでといっているのだろう。「わたしを離さないで」を読んでいるとまるで魂と対話しているような気になってくる。


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2013年07月05日

「わかってくれる人だけにわかってもらえればいい」ノート@

みんなにわかってほしいと思って書くのとわかってくれる人だけにわかってもらえればいいと思って書くのとではどちらが面白いか?

一概には答えられない。


学校の先生がみんなにわっかってもらいたいとおもってやる授業とわかる人だけにわかってもらえればいいとおもう授業ではどちらが面白いか?

一概には答えられない。



  本当に面白いことを書きたいと思えば自分にしかわからない事を書け・・吉本隆明



みんなにわかってもらえるなんて思わないほうがいい。

みんなにわかってもらえるなんて不可能だ。



だれになにをわかってもらいたいのか?



人は人との間を、多くの場合言葉で埋めようとする。

人は人との距離を、多くの場合言葉で測ろうとする。

人と人との距離を言葉によって距離を縮めたり広げようとしたりする。

しかしこれらが言葉では通用しないときがある。

言葉以外にも人と人との間を埋めたり、測ったり、縮めたり、広げたり、確かめ合ったりすることができるものはたくさんある。

絵、音、芸術、ダンス、さわる、離れる 、もしかしたら言葉以外のすべてのものも人と人との間を埋めたり、測ったり、縮めたり、広げたり、確かめ合ったりすることができるものだといってもいいかもしれない。

しかしこのブログでは言葉にこだわってみることにする。

「わかってくれる人だけにわかってもられえばいい」ということにもこだわり続けることにする。


どうにかしたいのに言葉ではどうすることもできないときがある。

あまりにもどうすることもできなくて怖くなるときがある。

恐れ 畏れ

なにをそんなに畏れているのだろう

人の心の闇

最近、「たましい」という言葉がよく頭に思い浮かぶ。

畏れおおい言葉だ。

あまり無闇やたらに使うべき言葉ではないように思う。

「共に生きる」系の人々にとっては「心のノート」などで悪名高き深層心理学者河合隼雄さんの本を読み返す。

河合隼雄著 「こころの処方箋」から ・心の支えがたましいの重荷になる・という章から一部を引用する。

  【 それでは、たましいとは何か。心でさえあるのかないのかわからないのだから、たましいはなおさ   らのことである。ここに椅子がある机があるというのと同じような意味で、「ある」わけではない。   しかし、心というものがあると仮定して話をする方が便利なように、それよりもう少し深く考える
   場合は、心の下(奥)にたましいがあると考えた方が便利なことが多い。
    たましいの特徴は矛盾に満ちている。人間の心はそのなかに矛盾が存在するのを嫌うので、たまし   いの方は矛盾をかかえこむのだ。たましいは極めて個別的であると共に、極めて普遍的である。】

 自分にしかわからないどころか自分にもわからないことを書こうとしているのかもしれない。でもそんなことは私にとっては日常茶飯事なことかもしれない。できることならつづけてみたい。 つづく
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2013年06月27日

ガリガリ君の青い空


                             
コンビニの前でしゃがんでガリガリ君を食べている二人
よくありがちな風景
ぼくが食べてるのはソーダ味
トキメキ君が食べているのはキウイ味
ほんとは「ガツンとみかん」味を買おうと思ってたみたいだけどお金が足りなかった。調子がわるいとそれだけでパニックになってしまうトキメキ君だがいつになく安定しているせいか「しょうがない」といってあっさりとキウイ味を買った。

 梅雨の晴れ間の青い空

コンビニの駐車場に役所の車がとまる。
「あら〜 トキメキ君じゃない 元気でがんばってる?」
機嫌のいいはずのトキメキ君なのに返事がない。長い自立生活の中でその人とはいろいろとイヤな思い出があるのか、それともアイスが口の中にはいっててただ話せなかっただけなのか。ぼくはぼくで、いちおうヘルパーの心得として軽く会釈をし愛想笑いでも浮かべなければならない場面であるのだが、そんなことはおかまいなしにただぼんやりと空を眺めていた。実のところトキメキ君の存在さえ忘れてしまいそうなそんな平和な気持ちにみたされていた。

窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに

あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても?

それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで
    ≪これが私の優しさです 谷川俊太郎≫

「逝かない身体」の著者川口有美子さんだったらこの詩についてどんな想いを抱くのだろう。でも川口さんだったらスェーデンボルグ思想に影響をうけたボルヘスとかの詩のほうが好みだったりするのかな。
 ぼくが学生のころ谷川俊太郎が好きな素敵な女性がいてそれでぼくは谷川俊太郎の詩をよく読んだ。
 ヘルマン・ヘッセが好きな素敵な女性がいればヘルマン・ヘッセを読み
 三島由紀夫が好きな素敵な女性がいれば三島由紀夫を読み
 ジャスパー・ジョンズの絵が好きな素敵な女性がいればジャスパー・ジョーンズの絵を部屋にはり眺めた。そんなぼくを周りの友人たちはバカにし、「お前みたいな不純な男は最低だ」と怒りだすやつがいれば
 「不純とはなんなんだろう
 純粋とはなんなんだろう」
と、素敵なある女性が好きだった哲学者クリシュナムルティの本を読んだ。
 退屈で退屈で溶けてしまいそうだった学生時代、そんな素敵な女性たちが好む本をよんだり、絵を眺めたりするのは大きな楽しみであり、苦しみであった。
谷川俊太郎をはじめそれらのたいていの本はぼくを悩ませ、いらただせた。
思わせぶりで、作者たちは単純なことをただ難解に表現したいだけなんじゃないかと考えずにはいられなかった。理解に苦しむことを理解しようとし理解し得たところでそれが僕にとってたいして有益なものと感じられないのに、もはやそうせずにはいられない自分に対して理解に苦しんだ。

 こんなことを繰り返してぼくはいったいどこへいくのだろう
そしていつの間にかそんなことさえあまり考えないようになっていた。


 空の青さを見つめていると
 私に帰るところがあるような気がする
 だが雲を通ってきた明るさは
 もはや空へは帰ってゆかない

 陽は絶えず豪華に捨てている
 夜になっても私たちは拾うのに忙しい
 人はすべていやしい生まれなので
 樹のように豊かに休むことがない

 窓があふれたものを切りとっている
 私は宇宙以外の部屋を欲しない
 そのため私は人と不和になる

 在ることは空間や時間を傷つけることだ
 そして痛みがむしろ私を責める
 私が去ると私の健康が戻ってくるだろう
          《空の青さを見つめていると 谷川俊太郎》  (よこた)

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2013年06月20日

今日はたこの木通信の発行日

 よこたです。前回書いたブログを削除しました。申し訳ございません。前回のつづきを考えているうちに思わぬ方向へしかもどんどん重くなっていってコントロールできなくなってしまいました。

毎週書くというのはやはりきついっすね。軽くなんかかけばいいとも思うんですがいったん書き出すとすぐに考えこんでしまいます。

今日はたこの木通信の発効日でした。昨日たこの木のパソコンが壊れてしまい朝から大変でしたがなんとか無事郵便局にたこの木通信を届けることができました。

私の場合たこのき通信は発行日の前日の夜から当日印刷するギリギリまで書いています。そこにはあきらかに時間のないなかギリギリまで書いているのだから乱文を大目に見てほしいという意図があります。長年つちかってきたこの意図は私の強いみかたです。文章を批判された時はいつもこの言い訳を使っています。
またこの意図のおかげで自分でも大胆だと思えることを思い切って書いたりすることも多いです。

集中が深まり書いてて面白いなーとおもったり、どうにも行き詰って夜中散歩したり、寝ては書き、書いては寝をくりかえしたり。でもこんなことを毎週やるわけにはいきませんからね。書くにあたっての新しいスタイルを模索していくしかないですね。

では今日はこのへんで
posted by takonoki at 21:14| Comment(0) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月06日

面白さを深めよう

Tさんを爆笑させた。彼が爆笑している顔をみたのははじめてだ。うれしかった。
彼とつきあってて本気で面白いとおもえるか?もちろんそれは笑えるかどうかというような浅い意味での面白さではない。爆笑すりゃいいってもんじゃない。支援者と当事者というだけのつきあいだったらやっぱりたこの木にいても意味ないし。

 音楽や演劇がかなり好きな私は知的当事者の人とどうすれば面白い音楽ができるか、演劇ができるかということをよく考える。この思考は私を退屈させない。

 なにをどう働きかけても響いてくれない、価値観がちがうのか。そのことが日常的になると自分が面白いとおもっていることに疑いをもつ。自分の価値観に疑いを持つようになる。
国家や強者のいいように価値感を植え付けられていることにも敏感になる。
自分にとってなにが本当に面白いことなのか。そのことが知りたいために当事者とつきあっているようなところがある。

 人間としてまっとうな付き合い方ではないだろうか。
 
おもしろいか?おもしろくないか?それが問題だ。
どんなことをしてでも面白くしないとだめだ。面白くないという事実は面白さを深めるために存在する。

制度化され形骸化された価値感、面白さに当事者はゆさぶりを投げかけてくれる。

 面白さを深めよう。

posted by takonoki at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | @横田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする